いろいろあった9年
今日のつぶやきから、ダークシルバーにもっとも近いアッシュカラーの髪にしてた頃の写真を古いiPhoneで探してみた。
多分、最後にこの手のカラーにしたのは9年前。50歳に入って間もなくの頃。黄色みが抜けにくい髪質のため、この後紫シャンプーで色を抑えていた。
この写真を見つけたら、母と兄弟姉妹とでお出かけした写真も出てきた。それがちょうど10年前。みんなで菊祭りを見て、軽く食べて、買い物して。それが母との最後のお出かけになった。
母が亡くなった後、雪崩のように悪いことが起こり始めたのを思い出す。取引先の倒産、家主のストーカー化(というか表面化)、裁判、などなど。
あの家に住んで2年目頃から災難が始まっていたが、もっとも大変な事態に陥ったのは9年前からなのだなとつくづく思う。
ところで、今日のもう一つのつぶやきで、改めて「あの家」の近隣の事故物件を「大島てる」のサイトとGoogle mapで確認。
すると、あの家を中心にわずか半径500m以内という近さで事故物件が4軒も集中していた。内訳は、飛び降り自殺3軒、そして一家心中が1軒である。
写真は、当時よく行っていた散歩コースの一つ。神社の下手にある紅葉ポイントだが、実はこの近くの駐車場でも車内から他殺死体が出てきたことがあった(汗)。
にしても、あの界隈は事故物件多すぎ。今住んでいるところは、かなり平和である。
『おまけ画像』
ケーキを狙うぷるさん。
八幡様の神馬ちゃん
コレクションしてる器の一部。
皿は明治時代、汁碗は大正〜昭和初期のもの。大皿は九谷の「角福」っぽくもある(刻印あり)。
汁碗は、同じものを父がずっと愛用していた。懐かしくて購入。この手の器は、骨董店の他に寂れた感じの個人商店でも発掘できたりする。デッドストックで新品のうえに安いのが魅力なのだ。