もう二度と会うことのないあなたが、わたしのことを祈るな。
最近、転職活動をしている。社会的な居場所をがないというのは、どうしてこうも心許ないのだろう。時間は膨大にあるのに、文章を書く気にもなれずにいる。何通目かわからないお祈りメールを読んでは、ため息をつく日々が続く。
通らない書類に、苦悶の表情の転職エージェント。ノルマにならない人材でごめんなさい、と心の中で謝罪してみる。通ったと思えば、早期退職に対する説教まがいの尋問。就職活動をサボって選んだ会社に入社した時点で、続けるも地獄、辞めるも地獄だったことを今更知る。
この度、慎重に選考を進めさせて頂きましたが、残念ながらご希望に添えない結果となりました。
誠に恐縮ではございますが、何卒ご了承の程お願い申し上げます。
末筆ではございますが、今後のご健勝をお祈り申し上げます。
ホームで電車を待つ間、何度目かのお祈りメールを見つめて、思い起こしたのは、ふたつの恋の別れ際のことだ。
「振るときにいい人ぶるな」と言われたのは、二十歳の誕生日だった。二十歳の誕生日の二週間前に最愛の彼氏に振られ、やけになって友人に連れられて行ったバーで出会ったバーテンダーの男と付き合った。
付き合っていたのは片手で数えられるくらいの日数で、それを付き合っていたとカウントしていいのかはよくわからない。けれども、別れたのだから、わたしたちはたしかに付き合っていたのだろう。
そのころ、SNSにはやたらと二十歳になった彼女に20個のプレゼントをあげる彼氏が大量発生していて、友人たちも例外なく20個のプレゼントに囲まれては幸せそうな笑みを浮かべていた。
わたしなんて「こんな気持ちで誕生日を祝えない」って言われたばかりなんですけど、と悪態をついても、わたしを傷つけるにはたった15秒の動画で十分だった。
誕生日当日にわたしはバーテンダーの男に別れを告げた。20個プレゼントをもらえなかったからではない。失恋を乗り越えるのは次の恋だと言うけれど、恋と偽って結んだ関係は余計にわたしを悲しくさせただけだったのだ。
「祝ってもらっておいて、本当にごめんなさい。別れてください」と言うわたしに、バーテンダーの男はひとつため息をついたあとで「振るならいい人ぶるな」と言った。
そして「振るときは相手に未練を残したらいけないんだ、それが振る人のマナーなんだ」とわたしを諭した。わたしはなんてひどい誕生日だろうと泣き出しそうだった。
彼氏に振られて、二十歳になって別の彼氏を振って、今度は振り方で叱られた。切り分けて崩れたホールケーキに顔でも突っ込んでしまえたらどれほど楽だったかと思う。
そのあと、ホールケーキを抱えて自分の家へと帰った。もう二度と会うことのない人なのだと思うと、このケーキも、たった数日も、すべてが虚像のようだった。振られたなんていうのはまったくの嘘で、実は最愛であった彼がわたしの誕生日を祝ってくれるのかもしれない、と自室のベッドの上で夢を見たけれど、それが現実になることはなかった。
「僕じゃ君を幸せにできない、君の幸せを心から祈る」と言われたことをまるで映画のエンディングのように美しく切り取り、繰り返し再生してきた。あれは運命の恋で、そして、一生忘れられないのだ、と思い続けてきた。けれども、バーテンダーの男はきっと正しかった。
お祈りメールを左スワイプで消した。うっせえ、ばーか。と思う。落とすなら、どうか御社は最低なままでいてください。わたしの幸せはだれかに祈らせないので。もう二度と会うことのないあなたが、わたしのことを祈るな。