即興執筆スタイルについて思うこと
まえがき
まぁ私自身、即興執筆特化型なわけですが。
これで2年間で440万文字を投稿してきた実績があるので、「即興だから長編を書けない」というのは多数の著名人の例でも反証がありますね。
でも日本人は計画的に物事を進めるのが好きみたい。
巷の小説執筆講座は、やれプロットの作り方だアイデアノートだと、プロッター向けのお話ばかりです。
一方、即興執筆はというと……。
なんと、Bing検索だと私のNote記事がトップに出ます。なんでや工藤!
Google検索だと……やっぱり私のNote記事。だから、なんでや工藤!
執筆配信してるVtuberもいるみたいですが、ちょっと動画を見てみましたが、私とはスタイルが違うみたい。
なによりしゃべりながらとか、私には無理だし。
あれで掌編とはいえ、小説を書けるあの人は凄いかもしれない。
世の中にはたくさんいるはずのパンツァー。
調べても「執筆実演」してたのは、私とさっきのVTuberくらいでした。
レアなのか? 執筆実演。
そんな疑問を口にしたら「そりゃそうでしょ」とか突っ込まれました。
えーそんなー。
ともかく、これでは世のパンツァーの肩身が狭い。
名前からして口に出し辛い、とかいうの禁止!
ということで改めてメリットやデメリットを整理してみる。
即興執筆のメリット
まず、書くのが速いです。
きっちり前準備しなくても書けます。
思いつくままに話が転がるのでスイスイ進みます。
結果として1日1万とか2万文字という数字になります。
1~2週間で1冊の文庫本を出すことも余裕です。
集中力が続けばな! 普通は続かないものらしい。
あとは感情表現がダイナミックになりやすい(らしい)。
私は意識したことがないのでわからん。
嫌らしい言い方になるけどこんな感じ。
極端なプロッター:お前らこういうの好きだろ?
極端なパンツァー:俺はこういうのが好きなんだ!
くらいの熱量の違いがあるのかもしれない。
もちろんプロッターにだって「自分はこういうシチュエーションやセリフが好きなんです」って人は普通に居るはずですけどね。
即興執筆のデメリット
計画を立てられない! 致命的!
だって本人にも、物語がどう転ぶかわからないんだもん。
事前にチェック? 無理無理、無い袖は振れない。
ということで、パンツァーの場合は初稿がプロット代わりになって、そこにどんな修正を入れたらいいのかっていう検討が必要になるんじゃないかな。いや初稿を全面信頼してもいいと思うけど。
一貫性や伏線や布石なんかは、推敲して仕立て直していけばカバーできる範囲。誤字脱字は必ず生まれるしね。まったく推敲しないってことはまずない。時々やるけど!
私の「自動筆記先生」スタイルは、この辺を先生が勝手にやってくれるので楽ができます。
即興だからって伏線を張れない訳じゃないし、布石を置けない訳じゃない。誤字脱字は多いけどな!
あとは……キャラクターが暴走すると、物語があらぬ方向に進みだすところですかねぇ。
そこが醍醐味、とも言いますが。
パンツァーVSプロッター
ぶっちゃけ、争う概念でもないですね。
「肌に合う方を選べば?」っていう。
あるいはハイブリッド型にして欠点を補ってしまう。
パンツァーだって、テーマや大まかな流れを決めてそれに沿うことはできるし。
プロッターだって「このシーンはキャラクターに任せてしまおう」ってできるはずだし。
私だって、事前妄想でキャラクターイメージをどこまで固めるかは毎回違うし。とくに長編はね。
主人公に力がないと、結局長く息が続かない。
まぁ「精霊眼の少女」第5章は何故か20万文字近かった気がするけど!
あれはザフィーアの子供たちが多かったからなぁ。
だって12人居るんだよ?! 何考えてるの自分!
自分の中ではキャラクターがしっかりしてたけど、書き分けてられたかはわからない。
これに親世代の既存キャラクターたちが加わる。
大渋滞です。そりゃあ長くもなる。
とまぁ、パンツァータイプはなんだか大変だなぁと実感したのが「精霊眼の少女」でした。
まぁあれでだいぶレベルアップした気がするけどね。
私じゃなく自動筆記先生が。
だって私は見てるだけ。
先生が紡ぐ物語を楽しんでるだけでいい訳だし。
だけど世の実態は
なんだかプロッター向けの話ばっかりです。
即興小説の腕を鍛えるサービスも終了してるみたいですし。
スティーブン・キングとか、西尾維新とか、即興スタイルでの成功例もたくさんあるのにね。栗本薫とか。
まぁ論理的に説明できる執筆スタイルじゃないのは確かだし、属人性が高いスタイルでもある。
口頭で説明できるかと言ったら難しいのも理解する。
商業出版でもプロットがあった方が便利なのもわかる。
それにしたって肩身が狭い。
私は小説の書き方をリサーチして、理論立てて小説を書こうとして身動きが取れなくなり、書いてこれなかった人間です。
それが「考えるの、やーめた!」ってやった途端、この2年間で440万文字46作品を世に送り出しました。アマチュアだけどね。
こういう人、実は結構いるんじゃない?
もっと即興執筆の楽しさとか成功事例を啓蒙していってもいいと思う。
世の中、即興執筆の認知度が低すぎるんじゃないかな。
まぁ私みたいに特化型になれとまでは言いませんが。
なんでそんなことを考えるのか
自分の為ですねー。
ハイブリッド型になるのが手堅いんだろうけど、プロットがあるとやっぱり窮屈です。キャラが死にやすい。
初稿を書き上げてから修正を検討する?
無理無理、自動筆記先生が認めてくれない。
第三者の意見なら、自動筆記先生もたまに飲んでくれる。
でもアマチュアの私にそんな人は居ないし。
AI? 彼らに物語を理解なんてできませんよ。
それができるなら人工知能が感情を模倣できるってことになる。
それはそれで素敵な未来ですが、まぁまだ時代が追い付いてません。
なので「この特化型を煮詰めて言ったらどうなるのか」ってことをよく考えます。自動筆記先生の進化ってやつですね。
そのためには他のパンツァー、特に即興執筆に優れた人のやり方を参考にしてみたいけど、悲しいかな。検索しても「結果」しか見つからない。
その「結果」が即興執筆なのか、信頼する担保がない。
さらに「どうやってるのか」まで解説している記事となると、私以外に数人が書いてるぐらいしか居ない。
私の自動筆記先生の説明が解説なのか? そこは気にすんな!
他の人の記事を読んでみても、私みたいに極端なことをしてる人は居ないらしい。つまり、自分の感覚を擬人化して「先生」とまで読んで信頼してる作家は、たぶん世の中に私だけだ。
まぁ観測範囲内では、なので。世の中にはほかにもいるかもしれない。
そんな人を観測したかったのだけれど、どうやら難しいらしい。
まとめ
私が「自動筆記先生」を進化させるためには、もっともっと書いて行かないといけないんだなぁという結論でした。
他人よりたくさん経験をこなしてやっと人並の私なのだから、今までよりもっと経験を積んでいかないと、この上には登れないでしょう。
なんだか大変そうだぞ? 大丈夫か?
「ハクナ・マタータ!」
誰かが私の頭の中で叫ぶので、私は笑顔でエディタに向かおうかと思います。