「エゴやネガティブな思考を手放さなければならない」という思い込み
こんにちは。
ヨガ、身体と心、思考と魂の変容の技ソマティック・エナジェティクス、シータヒーリング を行っていますMahalo nui loa 林光子です。
私は上記のタイトルの思い込みを持っていました。
エゴとは自我・自尊心、他に利己主義、傲慢、自分が正しい、など、ネガティブなもののイメージです。
でもこのネガティブなエゴは自己愛の欠如の現れでした。
優越感=劣等感
例えば傲慢は優越感の現れだと思いますが、優越感を持っているということは、イコール同じ量の劣等感を持っているのです。
自己愛が持てず、自分は価値がないと思い込んでいたため、なんとか自分に価値を見出そうと、優位に立てるものを探して表現するのですが、その時点で、自分の中だけの正しさや優越感となり、傲慢になっていました。
それは「自分自身」ではありませんでした。
この自分自身ではない状態はネガティブな思考を取り除こうとしている時も同じでした。
あの世からみたエゴの必要性
仏教もヨガもスピチュアルな教えも、自我を超越して真我、無我になることが素晴らしいとされていましたが、これは自分を抑圧するだけなのだと氣付かされました。
「エゴを手放さなければならない、抑えなければならない、この思い込みが本当の自分を知ることや自分を愛することの邪魔になっているとしたら?」
こう問いかけるのは臨死体験をしたアニータ ムアジャーニさん。
アニータさんの二作目の本に、あの世からみた、エゴの必要性をわかりやすく言葉にしてくれています。一部添付します。
向こう側の世界にいた時、私は自分の感情、マインド、エゴも含めた物質世界の自分自身のあらゆる部分が この世で生き延び、成功するために必要なものなのだとわかりました。エゴは私たちにアイデンティティと個性を与えてくれます。 そのおかげで私たちは1人の人間としての自分を知り、そのユニークさを表現できるのです。 もしエゴが必要でないなら それを持って生まれてくるはずはありません。
私たちはみんな繋がっていて1つの存在ですが もしエゴがなく どこまでが自分で どこから他人なのか 分からなければ この物質世界で機能をするのはとても難しいはずです。
識別するためにはエゴが必要なのです。 実際、比較対象して区別する能力がなければこの世界には何も存在しないでしょう。
私たちが体の中に宿ると 意識とエゴを持つようになります。 二元性の状態と呼ばれるのはこのためです。 でも非二元性の状態では私達は純粋な意識であり、そこにはワンネスしか存在しません。 その状態では個別の経験としての個人的な喜びを知ることはできません。 なぜなら ほかのすべての感情や経験から 切り離された苦しみは存在しないからです。 ユニークな現象としての苦しみが 存在しないため 分離した感情としての 喜びがわからないのです。
非物質的領域で私たちが経験するのは無条件の愛―無条件の愛とはすべてを含むワンネスから放射されているものです。 この物質世界で私たちが喜びを感じるのは、それを感じないというのがどういう意味かを知っているからであり、苦しみを感じるのは、それがないというのがどんなことかを知っているからです。 私たちには比較する基準点が必要なのです。
非二元性の状態には基準点はありません。反対なものもありません。 存在するのは ワンネスと無条件の愛だけで、それは自分の外側には何もないということを意味します。 すべてがただありのままに存在しているのです。 私たちは分離の現実を体験するためにこの世に来ることを選択したように私には感じられます。 そしてこの現実を感じるためこれらの感情を経験するためにエゴは絶対に必要なものです。 エゴがなければ私たちは非二元性/ワンネス/純粋な意識の状態に戻ってしまうでしょう。
すべて自分の一部として認め、受け入れる
「あの世」では確かに、非二元性の世界、「自分」がない純粋な意識、すべては一つ、ワンネスの状態で素晴らしいのですが、
私はあの世からこの世へわざわざ来た。
あの世から見るとこの世は、個の「自分」「あなた」分離しているからこそ協力し合うといった素晴らしい体験ができるところ。
ワンネスの無条件の愛の中では体験できない、「恐れ」「怒り」「戦い」「痛み」などを体験できるところ。
この二元の世界はすべてがコインの裏表のようになる。
これらネガティブな思考とされる片面を無いものとするのではなく、この世を体験するのに必要なものであり、これらすべてが「自分」なのだ、と受け入れることで、自己愛がとても上がり、ニュートラル、自分自身への愛、自分自身の統合、自分自身のワンネスが高まりました。
同時に自己価値もとても高まりました。外側は何も変わっていないのに。
自己愛が持てなかったのはなぜ?
アニータさんは、私たちは自分を愛するのは利己的(エゴ)だと教えられ、利己的というのはネガティブなことと理解し、自分を愛して利己的だと批判されるのを怖れ、それによって自分を抑圧し、どんどんバランスを崩して行くことにも触れられています。
私はぴったりとこの言葉に当てはまりました。
「エゴ」、そして「不安」「恐れ」「怒り」「戦い」「痛み」などのネガティブな思考とされるもの、私はこれらを否定してきた時は非常に苦しかったのです。一生懸命取り除こうとしていました。
私はそれらを持っている自分は本当の自分ではない、本当の自分と一致していない、間違いだ、と思っていました。
この時の「本当の自分」とは、純粋な一点の曇りもない光の自分でした。
なのでネガティヴな部分を愛することが出来ず、自己愛が深く持てなかったのです。
でもこの戦い(戦いを否定しつつ結局戦っていた)も必要だったと思います。
それらがあったおかげで今の思いにたどり着け、とても楽です。
本当の自分とは何か?
今まで「本当の自分」とは何か、スピリチュアル的に探して来ました。
今私の中で行き着くのは、結局非常にシンプルに、何も着飾ることのない、ありのままの素の自分を認めている状態、
ポジティブな側面もネガティブな側面も、光も闇もすべての側面の自分を認め、受け入れ、愛している状態です。
「悲しみ」「恐れ」「怒り」「戦い」「比較」などもこの世で生きる上で必要なものであり、本能であり、自分の一部。
それらを抑圧すればするほど、不健全な恐れや不安が大きくなっていくような氣がします。
自分を知ること
とはいえ、自分の中でネガティブな側面が多いと辛くなっていくのは事実あります。
これは自分自身を知ることでその側面を減らすことが出来ると思います。
私の取り組んでいるプラブヨガや、ソマティック・エナジェティクス、シータヒーリングなど、その他もすべては自分自身を知る道だと思います。
「自分を知るとは 何が自分を幸せにし、何が幸せにしないのかを知るということです」とアニータさん。
とてもシンプルな言葉ですが、色々取り組んできた中で、確かにこの言葉に尽きると思います。
すでにすべてを持っている
私はすでに「ワンネス」でもあり、「個」でもあり、「光」でもあり、「闇」でもある。
「知っている」と同時に「知らない」が存在し、「できる」と同時に「できない」が存在しています。
昔、スピリチュアルな教えで「思考と自分を分けなさい」という教えにも共感していましたがこれも
「思考は私ではない」「思考は私である」
「恐れは私ではない」「恐れは私である」
私は両方の側面を持っている、と認めると、思考も恐れも穏やかになります。
(前は変な思考を思った時、祓わなければと思っていましたが、結局それは自分の中にあると認めると、穏やかになり、優しい氣持ちになるのでした。)
前は「正しさ」の中で窮屈でした。
どちらに偏っても苦しくなるー。
これが今の私です。
どちらの側面もある、先ほど書いたすべてを認めるという意識になってから、日常の中で、不意に涙ぐむほどの感謝と幸せ、自分への愛が溢れて来ます。
「ありがとう」が溢れて連発していたりします。一人の時に。(笑)
「ありがとう」も無理やりポジティブに「ありがとう」と思わなければならない、だと苦しくなります。「有り難くない」不快な状況も感じきる。
痛みも、逃げてきましたが、感じきるようになると、自然に体が快の方へ流れていくことに氣付きました。
前は快の方を感じると快の方へ流れていくという教えにそっていましたが、不快を感じきることでも同じように快に流れていくことに氣付きました。
どちらの道を通っても辿りつくところは一緒なのかもしれませんね。
抵抗することをやめるとカラダは自然に幸せの方へ流れていくような氣がします。
ああ、こういうことだったのか、と痛みの奥の声を聴けることにも氣付きました。
この世は二元の世界
無条件の愛もあり、条件付の愛もある、と認めた時
これも、前は「母親とは無条件の愛の存在でなければならない」にこだわり、条件付けの愛が多かった母親を否定してきましたが、この条件付けの愛は私にもある、と認めたことで、一段とより深く、自分を愛せるようになりました。母に対してもー。
イニシエーションの本の最後にある一節「私たちが愛していないと思い込んでいるものは例外なく、私たちの中にあるのにいまだ認識されていないもの」なのでしょう。
「自己とは生きとし生けるものの自己であり、したがって私の自己でもある。そして自己は境を知らない。それゆえ宇宙全体が私の中にあり、私の自己は宇宙全体に満ちている。ありてあるもの、それは私なり。愛するすべての中で、私は私の自己を愛する。私たちが愛していないと思い込んでいるものは例外なく、私たちの中にあるのにいまだ認識されていないものだ。
自己は生命であり、ただ一つの実在だ。自己のイニシエーションを経てみずからの自己を曇りなく知ったものは誰でも、すべてと一つであるがゆえに、すべての存在を等しく愛する。」イニシエーション(ナチュラルスピリット社)より
自分自身を愛し、尊重することが自分や周りへの真の奉仕となる
最後に、アニータさんが臨床体験をし素晴らしい氣付きを得た後でも道に迷った時、降りてきた言葉というのを添付します。
「思い出してください。 あなたが唯一すべきことは、自分自身を愛し、自分を尊重して、その自尊心や自己愛を体現することだけです。そうすれば、あなたは愛そのものになるでしょう。それこそが自分や周囲の人たちへの真の奉仕です。」
アニータさんの本を読まれてない方は是非おすすめします。
あなたのこの世の疑問に必ず答えてくれると思います。
どちらも私の一番のバイブル本です。
この本を教えてくれた長年の友人に感謝を。
アニータ・ムアジャーニさん一作目「喜びから人生を生きる!」
アニータ・ムアジャーニさん二作目「もしここが天国だったら?」
Mahalo nui loa 林光子HP
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