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東京さんぽ/錦糸公園

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錦糸公園には、河津桜とソメイヨシノと八重桜があるようだ、ということをこないだ知った。
ソメイヨシノは見逃したけど、梅を撮りに行くときに河津桜を見つけて、藤を撮りに行くときには八重桜に出会えた。今まで藤を撮りに行くときは4月後半だったから知らなかった。

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陽の当たり加減にもよるのだろうけど、思っているよりも暗く写る。花がこんもりしていて下向き加減だから?
とりあえず、取り込んだ後に少し明るくしてみた。

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花びらがフリルのようにふさふさしている。
ソメイヨシノの儚い美しさに比べて、こちらは華やかで可愛らしい。どちらもいい。

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新緑を背景にするとピンクが際立つ。
だんだん緑の色が多くなってきたなぁと感じる今日このごろ。

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咲きかけの花が薔薇のようだ。
とてもかわいく撮れて満足。

錦糸公園には子どもたちと、それを見守る両親と、ピクニックをする人たちであふれている。天気もいいし、青空の下で食べるご飯はさぞおいしかろうと思う。

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提灯があったから、夜はライトアップしているのかもしれない。知らんけど。

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今年はあっという間に桜の季節が過ぎていった。
もう少しだけ長く楽しめたらよかったのに、残念だ。花筏も見たかったけど、それも叶わず終わった。
来年も桜は咲くけれど、今年と同じ風景は見られない。それは当たり前のことなんだけれど、去年も見たかったという思いに駆られたりもする。

写真を普段撮らない友人たちからすれば、どうして同じ写真ばかり撮るの?と思うらしい。わたしとしては、一つとして同じ写真はないのだけれど、写真というものにさして興味のない人からすれば同じに見えるのだろう。
花は毎年同じだし、見える景色も同じだと。
それは正しいとも思うが、わたしにとっては正しくない。ただまあ、だからといって違うと怒るようなことでもない。写真に対する熱量がただ違うだけという話だ。

多分、一眼レフで撮った写真とスマホの写真が違うことも知っているし、一眼レフの方が綺麗に撮れることを分かっていても、でもスマホの方が楽だしべつに困らないという人たちからすれば、わたしの行動はおそらくとても変わっているのだろうなとも自覚している(直す気はない)。

写真を残しておくこと=過去を振り返るという風に捉える人もいるようだ。そのときの自分は過去の自分で、いまの自分ではないから写真を撮られるのは好きではないらしい。
それはとても新鮮な考えで、ちょっと面白かった。
わたしは基本的に風景写真しか撮らないし、自分が撮られることはさほど好きではないけど、そういう考え方は持っていなかった。友人と撮る写真は好きだし、旅行に行ったらもちろん人の写真だらけになる。そして、それを見返したときに楽しかった思い出が蘇ったり、笑いあったりできることが好きだから。

なんてことは、多分あまり写真に重きを置いていない人にはピンと来ないかもしれない。まぁ、所詮自己満足の世界だからそれはそれで問題はないと思う。


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