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掌編小説「シューゲイザー」

「じゃあ君はシューゲイザーが好きなんだね」
 バイト先の飲み会でフリーター二年目の先輩はわたしにそう言った。居酒屋の喧騒と薄っすらと回り始めた酔いの中に取り残されないよう、わたしはテーブル一つ挟んだ彼にほんの少し身を乗り出して、声を張り上げた。
「なんですかそれ」
「シューゲイザー。ロックのひとつだよ」
 手に持っていた煙草を灰皿に押し潰しながら、先輩もまた声を大にする。ちょうどわたしたちは音楽の話をしていた。先輩がギターをやっていて、時折、大学時代のバンド仲間と一緒にスタジオで練習しているらしい。わたしも、音楽は人並みには嗜んでいるつもりだった。
「どんなジャンル聴くの?」
 何気なくされた質問に、今まで「ジャンル」というものを意識しながら音楽を聴いてこなかったわたしは、答えに詰まってしまった。それで、具体的なアーティストの名前を伝えると、先輩はその妙な単語を発したのだった。
「例えるなら、ちょうど今みたいな感じだよ」
 そう言った彼のイヤリングが得意げに揺れるのを見逃さなかった。言葉の意図が分からずにいると、追加注文の肉と、レモンサワーが三つ、唐揚げ、平べったいピザが次々に運ばれてきた。それらはわたしの目の前を通り過ぎていく。「誰のー?」「俺のっすー」「え、なんで三つも頼んでんの」なんて声が同時に飛び交う。
 スマートフォンで調べてみると、シューゲイザーというのは、ノイズに近い轟音のギターと、囁くようなボーカルとポップなメロディーが特徴のロックらしい。曖昧さに詩的な表現を覚え、どこか浮遊感があるという。思わず「たしかに」と声を漏らすけれど、それは雑音にかすんでしまい、誰の耳にも届いてはいなかった。
「ロックって言っても一概にはまとめられないし、パンクとかプログレとかインディーとか色々だからね。ちなみに、俺がバンドでやってるのはポストロックね」
 矢継ぎ早に先輩が口にすると、せき止めるように今度は唐揚げを頬張り、残ったハイボールでそれを流し込んだ。それから近くを通りかかった店員に、ハイボールおかわり、と威勢よく声をかける。わたしは先輩の言葉をカシスオレンジでちまちまと飲み下していく。
 こちらを向き直った先輩が、随分と大きな声でわたしに聞いた。
「で、君はシューゲイザーのどんなところが良いと思うの?」
 先輩の目には、狩人にも似た鋭利な光が宿っているように見えた。途端に、眩暈のようなものを感じる。お酒のせいだろうか。別に、強くはないけれど、弱くもないはずなのに。
 このアーティストが好きだからよく聴きます、とはもう答えられそうになかった。好きという感覚には、直感が命だと自分では思っている。ジャンルを知らなきゃ好きになってはいけないなんて法律は、どこにもありはしない。そんなことを言い出せば、わたしたちは何も愛せなくなってしまう。
 だから、わたしは彼の質問に対して、
「え、何か言いましたか?」
 と聞こえないふりをした。

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