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終わり、あるいは始まり

 目が醒めて雨の音が聞こえると、かえってわたしの心は晴れやかな気持ちになった。寿命が一年延びるような、感謝の思いでいっぱいになる。
 ピアノを弾くのが許されたのは、雨が降った日か、親がいない日のどちらかだった。前者は親が決めたこと、後者はわたしが決めたことだ。
 雨が降った日は気分がいい。親がいなければ尚良かった。わたしは今にも踊り出してしまいそうな気持ちを抑えつつ、ピアノカバーを払い退け、椅子の高さを調節し、ジムノペディの楽譜を開く。
 鍵盤に指先が触れるとき、命の先端に触れてしまったような後悔の念にかられる。一度置いてしまった指先をぴくりとも動かせない。わたしの手で自分の息の根を止めてしまう罪悪感に苛まれる。
 でもわたしは、鍵盤が沈む瞬間、心臓の表面をやさしく撫でる感覚を決して忘れなかった。止めてしまった心音をわたし自身の手で繋ぎ止める。その想いで今日までピアノを弾いてきた。
 雨の音がピアノの音色と混ざり合う。それは青い絵具が水に溶け出すイメージに近い。遠い記憶に広がる入道雲にも似ている。ただ無邪気に、夢物語さえ真実と疑わない自分の背中を、わたしはいつまでだって見つめていたかった。
 目を閉じた瞬間にいつも曲は終わっている。今日も雨は窓を濡らす。わたしは結露した表面を指の腹でなぞった。その指先を今度は右目の端から頬の下にかけて伸ばす。のり付けするみたいに。そうしてひとり、ただ静かに笑う。
 次に目が醒めたとき、この瞬間にわたしが生きていたということを忘れないために。

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