内輪の人間を呼び捨てにするおかしな常識

 職場あるいは社会人として常識とされている事柄はいくつもあるが、あらためて考えるとおかしいんじゃないの? というものも多いと思う。
 その中で個人的に少し気になる社会人マナーの話をひとつ。

 ジャンル的には敬語の部類に入るのかな。
 外部の人間に対し、内部の人間を呼び捨てにするマナー。
「山田に伝えておきます」とか。
「木村から話をさせます」とか。
 その山田氏や木村氏が、上司であったとしても年上の人間であったとしても関係ない。「うちの者」なのだから呼び捨てが当たり前、という常識。

 これが、ぼくはどうも気になるのであった。
 たとえば、入社したばかりのぴっかぴかの若い新人さんが、年配の大先輩を呼び捨てにしている図とか。ものすごく心地の悪さがある。
 その相手と年配の大先輩が古い付き合いどうしで、どちらも大御所だったりすると、ますます。
 もちろん新人さんに限ったことではなく。

「それはそういうものなんだ。それが社会のルールだよ?」という指摘は無しでお願いしたい。そんなことは当然わかっていて、でもそれでも気になるんです、という話。

 だいたい、どうして自分側の人間だったら呼び捨てなのだろう?
 このこと自体がよくわからない。
 自分側の人間と言っても「あなた自身」ではないのです。他人は他人ですよ。尊重すべき一個の人格です。なぜ呼び捨てにする?

「自分自身」はへりくだってもいい。そうしたければ。
 だけど「自分側にいる他人」までへりくだった扱いをするというのは違うのではないか?

 それに一歩外に出ればたやすく立場が変わるし、実際、近頃では、A社で働いている人間は実はB社にC社から派遣されてきている人だとかそんなこともざらにある。
 そんなとき、C社から来ているその人は、自分の顧客に当たるB社の人間をA社に対しては呼び捨てにする、とかそういうことになるわけだけれども、やはりどうもおかしな感じがする。
 現代のこの社会では、同じ職場にいても、どこからどこまでがどの会社の人間であるかの境界は曖昧になりつつある。
 そしてそんなことは、相手の会社の人間にしてもよくわかっていることで。

 だから、みんな等しく敬称付きでいいのではないかと。
 自分側の人間であろうが、対個人としての敬意はあっていい。
 というか、あるべき、ではないのかなと。

 自分側の人なのに敬称を付けたからあいつはマナーがなっていない、とか、そんなことを言う(思う)人のほうがちょっとアレなのではないか?
(※「アレ」がなんなのかは自由に想像して下さい)

 なお、事はビジネスの現場だけではなく、家庭でも同じだと思う。 
 夫婦は、他人に対して互いを呼び捨てにするのがどちらかというと一般的だ。そうでない人たちもたくさんいるだろうが、一般的なマナーとしては。

 が、もちろんこれもよくわからない。
 夫婦は"他人"である。
 別個の人間だ。
 それを呼び捨てにするというのは、もしかして「おまえはもう自分のものだ。私自身だ。我々は一心同体なのだ」という、夫婦一体化すべきというそんな慣習から来ているものなのか?
 けれども離婚すれば、この"呼び捨て"は取り払われる。これまでさんざん呼び捨てにしてきたくせに、離婚したとたん、"さん"の敬称付きになり、あまつさえ、互いの会話まですべてが敬語になったりして。
 なんかもう「ヘンなの……」という感想しか出てこない。

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