だれかの命
その夏、久しぶりに縁日で金魚すくいをした。
九匹釣り上げたところで、ポイに大穴が開いた。がっかりして見つめる水面から、金魚の青い匂いが鼻へ昇ってきた。
「はい、お土産」
店の親父さんがぷっくり膨れたビニール袋を差し出した。湾曲した水中で赤と黒の金魚が揺らいでいる。
黒い方は出目金だった。
家に帰り、陶器の睡蓮鉢に小石を敷いて、水を張った。金魚をそろり放つと、ひらひらと揺らいで、石の陰に消えた。
あれから五年が過ぎた。
二匹の金魚は小さな鯉くらいに成長した。
驚いたことに、漆黒だった出目金は、日増しに赤さを増していった。
餌に色あげの成分が入っていることに気付いたときは、もう後の祭りだった。
今ではかろうじて残った黒が目の周りを覆い、どこかで見た顔になっていた。
「おはよう、パンダ。おはよう、アカ」
ユウが水槽を突くと、パンダがヒレを煽ってこっちを睨む。アカは無関心。
「なんだか窮屈そう、って顔してるな」
春、睡蓮やメダカで賑わう裏庭へ、パンダとアカを引っ越しさせることにした。
これまで何の変化もない、空気の澱んだ居間で暮らしてきた彼らに、太陽の光や闇、雨や風が香る自然の暮らしを体験させたくなった。
大きな水槽を準備したせいで、中腰での水替えは前より重労働になった。それでも緑茶のような藻に身を任せ、悠々と泳ぐパンダとアカは、これまでよりずっと幸福そうに見えた。
黄や橙の落ち葉が降る秋の朝。
いつものように裏庭へ出ると、何やら生臭い空気が鼻を掠めた。
地面が異様にきらきらしている。
はっとして目を凝らすと、鱗だった。
高鳴る鼓動を抱え、水槽に急ぐ。
やられた。
鳥よけの網や植木鉢は倒れ、水中は泥で濁っていた。
パンダとアカの姿はどこにもない。
足の力が抜け、私はその場にうずくまった。
無言で水槽を片付けていると、
事態を把握したユウが、あのときの睡蓮鉢を運んできた。
底に盛塩が見える。
中央から糸のような煙が二筋、天へ伸びていく。
「私のせいだわ。外に出したから」
白檀の神々しい香りが、空気に揺られて漂う。
まるで周囲をパンダとアカが、ひらひらと泳いでるようだった。
「パンダとアカは、だれかの命になったんだ」
ユウがつぶやいた。
小さな命を取り込んだ裏山に、風が通り抜けていく。
赤い木の葉がくるくる泳ぎ、空高く舞い上がった。