右翼と左翼入門
はじめに
※本記事は2015年3月に作成した記事を転載したものです。
政治的立場や思想を表す言葉として「右翼」「左翼」があります。
本記事では政治思想的立場としての「右翼」「左翼」に関わる本を紹介します。
食を通して「左」「右」を考える
まずはもっとも身近な「食生活」から考えてみましょう。
本書では「消費生活、とりわけ『食』にも政治思想が現れる」という前提に立ち、食生活者を「フード左翼」「フード右翼」に分類しています。
「フード左翼」は、自然派食品や有機野菜を好み、スローフードなどに関心を持ち、地産地消などに取り組む人々と定義されます。
一方、「フード右翼」は、産業的な食、たとえばファストフードやジャンクフード、コンビニ食などを好んで食べる人々として定義されます。
現代の日本の「右」の主流は自由資本主義に立つ側ですから、産業的な食を「フード右翼」とし、逆に経済的効率は重視しない自然派食品や有機野菜、スローフードなどを「フード左翼」と定義することには、一定の妥当性はあるでしょう。
本書は、ライターの速水健朗氏が実際に有機野菜農場やファーマーズマーケットなどの「フード左翼」を取材し、海外の事例なども紹介しながらその「魅力」と「問題点」(例えば、有機農法では全世界の人口の食糧をまかないきれないなど)を伝えるルポであると同時に、食をはじめとする日頃の消費生活が政治・社会への1票であることを訴える本です。
なお「フード右翼」については本書ではあまり触れられませんが、同氏の著書『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)が本書と対になる「フード右翼本」であることを速水氏は明言しています。
ですので、ラーメンのほうが親しみやすいという方は、こちらから読んでみてはいかがでしょうか。
「右翼」と「左翼」の歴史
ところで政治思想や立場は、なぜ「上」「下」や「前」「後」ではなく、「左」「右」と表現されるのでしょうか。
それを知るには、1789年革命期のフランスにまで立ち戻る必要があります。
本書は新書ながら重厚な内容なので、駆け足で内容を紹介していきましょう。
当時フランスの国民会議では、国王の権力を否定する立場の人々(革新派)が議長席から見て「左側」に、国王の権力を一定認める立場の人々(保守派)が「右側」に陣取りました。
これが「左翼(=革新)」「右翼(=保守)」の起源とされています。
結果的に「左翼」が勝利し、フランスに議会制民主主義が誕生します。
西欧ではこういった形の革命や国家独立が相次いで発生しました。
そのため「左翼」「右翼」という言葉が一般化されることになります。
しかし次は、議会の中で既得権益を保守したい資本家(=右)と、さらに平等な社会を求める労働者(革新=左)の対立が生まれます。
当然ながら資本家に対して労働者は普通の方法では太刀打ちできません。
そこでマルクスは国家を超えた労働者の連帯を呼びかけます。
これにより「左」に国家を超えた国際的(インターナショナル)な面が現れます。
一方、国家資本の増大を目指す「右」の思想は、植民地獲得を目指す帝国主義へとつながっていきます。これはあくまで自国の支配下にある領土を増やすのであって「国家的」な活動です。
こうして「インターナショナルな左」と、「国家主義(ナショナリズム)に基づく右」の新たな対立軸が生まれます。
また「左」の思想は共産主義や計画経済などソ連や中国の政治体制へ影響を与えます。
ところで、日本における「左」「右」はどういう形で形成されたのでしょうか。
時代は明治維新にまでさかのぼります。
明治政府の権力は長州、薩摩などの維新の中心になった人々が握ります。
これに対し西洋の「左」の思想の影響を受けて現れたのが、憲法制定や議会開設を訴える「自由民権運動」です。
また大正デモクラシーなどを通じた普通選挙制度、男女平等、部落差別解放運動等も、「左」の思想家たちによって行われました。
一方、西南戦争で明治政府に敗れた西郷隆盛の思想を受け継いで結成され「大アジア主義」を掲げた「玄洋社」が日本の「右翼」の発端とされています。
太平洋戦争後、日本はアメリカの占領下に入りました。
このことが、現在の「左」「右」を大変わかりにくくしている原因であると著者は指摘しています。
というのも、日本国憲法はアメリカの占領下において策定された「軍事力を放棄した平和憲法」です。
しかしながら一方で、アメリカは自衛隊の前身となる警察予備隊をつくり、米軍基地を日本においています。
これでは支離滅裂ではないでしょうか。
この原因には冷戦構造がありました。
日本国憲法の策定時には、アメリカにとってソ連をはじめとする共産主義国家はまだ明白な敵対関係にありませんでした。
しかし後に対立が明らかになると、日本はアメリカ占領下において望む望まずにかかわらず「右」の資本主義勢力の一部となり、「左」の共産主義国に対する最前線に立たされることになったのです。
しかしその後、全面戦争は起こらないままソ連は崩壊します。
そして残された「平和憲法」と「自衛隊や米軍基地の存在」の矛盾は、いまだに論争の種となっています。
アメリカの占領から解放されてからの日本は、所得倍増計画のような経済政策と護送船団方式と呼ばれる産業政策により経済成長を成し遂げます。
実はこれらの内実は「左」的な計画経済、統制経済に近い面もあり、ときに「日本は世界で最も成功した社会主義国」と呼ばれる所以もここにあります。
また経済成長を推し進める「右」の政権に対し、「左」は公害問題、人権問題、労働問題などを追及し社会を改善していきます。
安保闘争などの「左」「右」の激しい対立はあったものの、ある側面では「左」「右」が補完し合いながら戦後日本は進んできたというのが著者の意見です。
そして1990年代に入ると、「日本は侵略戦争を行った加害者である」というものだった歴史認識が、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言Special 戦争論』(小学館)などの影響により「日本が戦争を行ったのは仕方がなかった」「日本はアジア諸国をヨーロッパから解放した」などの認識へと少しずつ広がりを見せ始めます。
こういった変化から、日本の「右傾化」が国内外から叫ばれるようになります。
長くなりましたが、以上が本書の概略です。
本書を読んでいただければ、より詳しい歴史を知ることができます。
また、戦後日本の「左翼」「右翼」について、より生々しく書かれているのが、右翼活動家から左翼活動家へと転身した雨宮処凛(かりん)氏の『右翼と左翼はどうちがう?』(河出文庫)です。
本書は、「14歳の世渡り術シリーズ」として刊行された単行本の文庫版です。
ですから、難しい政治・哲学用語などは出てきません。
極めて平易に、著者の体験から「左」「右」を語っています。
なお、著者が右翼活動を始めたきっかけとして、やはり小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』を読んだことを挙げています。
しかし、のちに自殺や貧困問題を取り上げるライターとして活動していくことで「左」側の作家として認知されるようになります。
本書では実際の活動家へのインタビューも掲載されていますので、「左翼」「右翼」がどういう思いで活動を行ってきたのかが分かる1冊となっています。
暴走する「愛国」?
さて既に述べたように、1990年代には日本の「右傾化」が認識されていました。
さらに北朝鮮の拉致問題、首相の靖国参拝、憲法改正、竹島・尖閣問題などが起こり、現在(2015年3月作成時点)ではヘイトスピーチなどに代表される「排外的ナショナリズム」が広まっています。
これをとりあげた本書は、タイトルにもなっているシンポジウムでの5名の討論と、2つの対談で構成されていますが、ここでは討論の部分のみを取り上げましょう。
本書のサブタイトルは「<ネトウヨ>化する日本と東アジアの現在」となっており、まさにこれが討論のテーマとなっています。
本書では<ネトウヨ>と表現されていますが、本書で議論されているように既にネットを超えている現象であること、<ネトウヨ>が「右翼」の条件を満たしているか不明なことから、この記事ではできるだけ「排外的ナショナリズム」と呼びましょう。
では登壇者を紹介しながら、その意見の概要を紹介していきます。
朴順梨(パク スニ)氏は、元在日韓国人三世であり、まさに排斥される立場にある人物です。
同時に共著に『奥様は愛国』などを著するライターでもあります。
本書ではその取材経験から実際の「排外的ナショナリズム」の実態を紹介しています。
與那覇 潤氏(よなは じゅん)氏は歴史学者としての視点から、「排外的ナショナリズム」の「歴史=物語性」の欠如を指摘します。
もはや歴史認識の変化による右傾化ではなく、単なる「不満の吐け口」となっているという意見です。
宇野常寛氏(うの つねひろ)氏は、討論のコーディネーターを務めながら、2014年の都知事選挙で田母神俊雄氏が61万票を獲得したことなどを挙げ、インターネットの中にしかいなかった<ネトウヨ>が、現実的に政治的な影響力を持ちつつあることに警鐘を鳴らしています。
萱野稔人(かやの つねひと)氏は、「ナショナリズム批判を批判する立場」として、登壇者の中では比較的、<ネトウヨ>に共感を示しています。
とはいえ、それは個人の問題ではなく、社会的に解決されるべき問題であるという認識に基づくものです。
つまり特定の人々が「排外的ナショナリズム」に至る原因は、社会(特に低成長の経済や雇用問題など)にあるという立場です。
そして意外にも、最も<ネトウヨ>を批判しているのが、日本の右傾化の要因ともなった『ゴーマニズム宣言』の著者である小林よしのり氏です。
本書では主に小林氏によって、右翼の立場から「排外的ナショナリズム」が論破されていきます。
それをひとつひとつ見ていきましょう。
国益の問題
與那覇氏の「安部首相が2013年末の靖国参拝を当日まで口外しなかったのは、日章旗を持った人々が集まり、その映像が流れることによって国際的な立場を悪くしないようにするためだった」というエピソードを受け、「排外的ナショナリズム」が国家主義であるべきにも関わらず国益を損ねていることを指摘しています。
憲法は魔法の呪文ではない
憲法を変えただけで、たちまち誇り高く美しい国になるわけではない。もしそう信じているのなら「平和憲法があるから平和が保たれてきた」という「左」の立場と変わらない、と述べています。
天皇は護憲の立場である
<ネトウヨ>が天皇を至上とする「右翼」ならば、改憲に賛成するのは矛盾すると述べています。
靖国問題
小泉元首相は、靖国参拝について「心ならずも国のために命を捧げられた方々を追悼するため」と発言したが、靖国神社の論理では、祀られているのは「心ならず」ではなく「国家のために自ら積極的」に命を捧げた「英霊」であり、「追悼」するのは戦死者への侮辱でしかなく、参拝するのであれば「私もあなたに続いて戦って死にます」という覚悟でなくてはならないと述べています。
メディアの問題
今のテレビや出版物が反韓・反中で溢れているのは単なる商業的な理由であり、言論として著しく劣化していると述べています。
さて、以上のような問題を抱えた「排外的ナショナリズム」の問題は、解決可能なのでしょうか。
これについては登壇者それぞれの意見がありますが、いずれの方法も簡単ではなさそうです。
一方で、若者から圧倒的な支持を得ているミュージシャンバンド「SEKAI NO OWARI」の2015年のヒット曲「Dragon Night」では次のような歌詞が歌われます
「人はそれぞれ『正義』があって、争い合うのは仕方ないかもしれない / だけど僕が嫌いな『彼』も彼なりの理由があると思うんだ (中略) 今宵、僕たちは友達のように踊るんだ」
歌詞で歌われているように、個人レベルでは「相手を理解する」(與那覇氏が言うところの「物語を共有する)という極めて単純なところから、はじめていく必要があるのではないでしょうか。
参考文献
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