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解き放たれた性より 第3話

「ゆうちゃん、ちょっといい」
 
変態騒動の次の日出社すると部長の山本アカリから声をかけられた。あいかわらず、ゆうちゃん、だ、うんざりするが指摘はしない。会議室までの冷たくなった廊下を無言のままやりすごした。会議室はもっと冷たく感じた。窓から差し込む陽が室内の冷気に圧倒されている。
 
「呼ばれた理由わかるよね」
 
会議室に入るなりデスクに陣取ったアカリが足を組み手帳を開く。いつもはない空気だ。
 
「はい、わかります」

”自分のことがわかっていたところで、先のことはわからないものだ”
ウィリアム・シェイクスピア

嫌な言葉が浮かんでしまった。アカリに押された感じで思わず敬語を使った。普段はもっと砕けた感じだから、自分でも不思議だ。
 
「今回はなんとか収めておいたからね。社長もわらってらっしゃったからよかったものの。今度から更衣室じゃなくて男子トイレで着替えてくれない」
 
昨日の変態騒動のことは一気に社内に広まっていた。出社するなり同じ部署の事務員から心配そうに尋ねられた。同じ部署だからわかってくれるといいが。アカリは社長室にまで呼ばれて事情聴取をされたみたいだった。
 
「わかってますよ、私が迂闊でした」

”失敗は、成功を引き立たせるための調味料だ” トルーマン・カポーティ

頭の中でなぜかタバスコが回っていた。
 
「あの部屋はアウターのサイズ合わせをしてるのわかる?気の毒だけどわかったならいいわ、それよりどう?パンツの履き心地は」
 
事情聴取はあっさり終わったので、少し肩透かしに会った気分だ。よほど新商品の履き心地が気になるのだろう。
 
「あのー申し上げにくいんですが、あれ仕様が女子でしょ。男には無理だと思います」

正直に話した。こういう時に気を使うと仕事にならないのはわかる。
 
「やっぱりそうか、はみ出たでしょ」
 
アカリの目が輝く。
 
「やっぱりじゃないですよ、昨日の変態に間違えられた件はそのせいでもあるんですから」
 
「誰も更衣室を使いなさいって言ってないでしょう。それにあの部屋を使うのはほとんど女子だってわかってるでしょ」
 
迂闊だったとは思うが、悪いことをしたとは思えなかった。話を終え、席に戻ると、自分の席をコウタが陣取っていた。
 
「よう変態ゆうちゃん」
 
コウタの顔を見て胸の中が灰色になった。コウタは同期入社だ。厳しい新人研修を乗り越えた仲だ。その上、前の部署でいっしょだったから、2人で会社帰りに何度も飲みに行った。そのたびに仕事の愚痴を言いあったこともあるから遠慮がない。決して嫌いではないが差し迫っている時に仕事以外の話をされるのは正直うざい。
 
「なんでここにいるんだよ、用事がないなら帰れよ自分の席に」
 
「用事は大あり。ゆうちゃん、話は聞いてるよ、何もおとがめなかったのか、痴漢まがいのことして」
 
「だからゆうちゃんって呼ぶなって言ってるだろ。何もないよ、なんだよ痴漢って。そうではないことは関係者が言ってるだろ。それよりお前何してるんだよ俺の席で」

”多くの場合、邪魔者は踏み台になるのだ” ウィリアム・プレスコット
 
「ああ、お前が帰ってくるのを待ってたんだ聞きたいことあって」
 
コウタが優太朗の席で、両手を後ろ手に頭にあて背伸びをしている。
 
「リラックスするなよ、俺には仕事があるんだよ」
 
「わかってるさ、俺にもあるからさ、それよりゆうちゃんに聞きたいことがあるって」
 
コウタが笑って話すから余計に腹が立つ。
 
「要件聞いたら帰ってくれるか、てかさ、そこ俺の席」
 
「ああごめんね、ごめんねー」
 
コウタが笑いながら席を立つ。こちらに、みたいに椅子を手で指し示すから、さらに怒りがこみあげてくる。少しはいらつかないことしてくれないのか。
 
「いいから帰れよ」
 
「あのねゆうちゃん、俺さ女優の結城真夜の追っかけしたくてさ、どうすればなれるかと思って。ゆうちゃんなら知ってるかと思ってさ」
 
うんざりだ。
 
「あのさ、俺はそのゆうきなんとかっていう女優も知らないし、追っかけもしたことないの。だから他を当たってくれ」
 
乱暴にそう言い放ち、優太朗はパソコンに向かった。
 
「あれー検討違いか?ゆうちゃんだったらわかると思ったんだけど」
 
「あのね」
 
優太朗が椅子を回転させてコウタをにらむ。
 
「あのさ、ここは会社なんですよ。俺のところに来るならせめて仕事の話にしてくれるか」
 
そう言うとコウタが下を向いた。
 
「わかったよ。じゃあ席に戻るわ」
 
コウタが珍しく肩を落として去っていく。二、三歩歩いた背中に哀愁が漂う。そういう姿を見ると気が重い。
 
「どうしてもの時はまた来いよ」
 
あまりにもかわいそうに感じ、そう言ってしまっていた。コウタは一度も振り返らなかったから、言葉にしてよかったと思った。意地悪な気持ちが充満していた。
 
「ゆうちゃん、ちょっといい」
 
ゆうちゃんという言葉を聞くと身構えてしまう。
 
「なんでしょう」
 
言葉の先にアカリが立っていた。
 
「ちょっと相談」

ポッと周りが明るくなる。背を向けたアカリが頼もしく感じた。
 
「はい」
 
コウタと会話を続けるよりはましだ。少し肩の力が抜けた気がした。アカリのあとをついていく。
 
続く

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