Until I fall asleep.
印刷会社に勤める河村康雄は、今日も午前様だった。
寝ている妻と息子を起こさぬ様に出勤し、寝ている二人を起こさぬ様に帰宅する毎日。
同僚達は「勘弁してくれよ、世の企業さんはもっと計画的に物事を進めて欲しいよ」と喫煙所で愚痴る。
しかし、収益のおよそ三分の一が年末年始に偏るこの印刷業界にとっては、この駆け込み需要に頼らざるを得ないのが現状だ。
康雄の勤める会社も、元々有って無い様な形ばかりの週休二日制がその体を成さず、二週間に一日の休みで年末商戦を乗り切ろうとしていた。
例によって終電で帰宅した康雄は、翌日久しぶりの休みということもあり、珍しく冷蔵庫から缶ビールを取り出し口にした。
くたびれた身体にはひどく染みる。
思わず溜息の様な声が漏れた。何故か二口目はもう飲む気がしなかった。
「疲れてるんだな」
康雄は誰に言うでもなく、残りをシンクに流した。
「ゆっくり休んでくださいな」
妻がそう言い
「疲れているみたいだから、うんと寝ててくれていいよ、パパ」
息子がそう言って、昼過ぎまで寝かせてくれたら…。
目覚まし時計にも、息子のはしゃぐ声にも、静寂を掻き消す掃除機の音にも邪魔をされず、ただ眠りたかった。
そっと二階の寝室へと向かい、二人を起こさない様にベッドに潜り込み、このささやかな望みが叶います様にと願いながら康雄は眠りに就いた。
何時間ぐらい眠っただろう。目が覚めてから疲れや倦怠感を一切感じる事がないのはいつ振りだろうか。
心地良い寝覚めだった。
妻も息子も既に寝室には居ない。
それなのに掃除機の音も、身体の上に飛び乗って遊べと強要する声も聞こえない。
祈りが通じた気持ちになった。
ベッドを出、一階へ降りても二人の姿は見えなかった。
買い物へでも行ったのか、思わぬ形で一人の時間を手に入れた康雄は、久しぶりの休みを謳歌しようと、渋めのエスプレッソを淹れる為、台所へと向かった。
その時玄関の鍵を開ける音が聞こえた。
二人が戻ったのだろう。
康雄は柄にも無くドッキリの仕掛人よろしくそっと玄関に向かい、ハイテンションでワッと声を上げた。
だが、二人は無反応にリビングへと向かう。
「おい、そりゃ無いだろ」と声をかけると妻は「こちらにお願いします」と誰かを呼び込んだ。
業者でも呼んでいたのだろうか。康雄は、大人げ無く大声で叫んだ自分がひどく恥ずかしくなった。
大きな木箱を前後一人ずつで抱えた二人の男は、ゆっくりとリビングを通り、続き間になっている和室へとその木箱を運び込む。
仰々しく畳の上に置かれる木箱。突然妻が木箱に突っ伏して泣き出した。康雄は訳も分からず「どうしたんだ」と声をかけたが、またしてもその声は届かなかった。
「お式までの間お顔が見える様にしておきましょうね」業者風の男の一人が優しく声をかけた。
妻が頷き、もう一人の男が木箱の蓋に付いている小窓を開ける。中が見えると妻は一段と大きな声を上げて泣いた。
息子も珍しく神妙な顔付きをしていた。
「ゆっくり休んでくださいな」「疲れているみたいだから、うんと寝ててくれていいよ、パパ」
康雄は恐る恐る箱の中を覗き込み、そして、これまでの生き方を悔いた。
天道満彦。劇作家、小説家。 エンターテインメント時代劇ユニットSTAR★JACKS主宰、俳優、演出家、殺陣師であるドヰタイジのペンネーム。