本能寺の変 1582 光秀という男 3 103 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
光秀という男 3 土岐氏
土岐頼遠は、足利尊氏の時代の人物である。
足利尊氏は、室町幕府の初代将軍。
鎌倉時代末期~室町時代初期(南北朝時代)の人。
1305年(嘉元三年)生れ~1358年(延文三年)没。
室町時代は、この尊氏から始まった。
以下、尊氏の略歴を示す。
1333年 元弘三年/正慶二年
後醍醐天皇の倒幕に呼応。
鎌倉幕府を滅ぼした。
執権北条高時、自害。
建武の新政が始まった。
1335年 建武二年
中先代の乱。
北条時行(高時の子)が挙兵した。
後醍醐天皇と対立。
1336年 延元元年/建武三年
尊氏、入京。
後醍醐天皇は、比叡山へ逃がれた。
北畠顕家により、九州へ駆逐された。
湊川の戦いで、勝利。
再び、上洛。
後醍醐天皇は、比叡山へ逃がれた。
光明天皇が即位、北朝が成立した。
建武式目を定める。
後醍醐天皇は、吉野へ逃れた。
南北朝時代が始まった。
→ 1392年(元中九年/明徳三年)までつづく。
1338年 延元三年/建武五年
南朝軍、和泉国石津(大阪府堺市)で大敗。
尊氏、征夷大将軍に就任。
1350年 正平五年/観応元年
観応の擾乱が起きた。
弟直義と高師直の間の政治闘争である。
→ 1352年、正平七年/観応三年までつづく。
⇒ 次回へつづく
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