小池一子さん・巻上公一さん・永田砂知子さんとのミニパーティー③
小池一子さんとのトークセッションの続きです。
聞き手に私、光畑由佳。先ほどまで即興演奏をしてくださった巻上公一さん、永田砂知子さんも一緒に席にいます。
この家ー現在はカフェーの設計をしたウシダ・フィンドレイ・パートナーシップの一人、キャサリン・フィンドレイは、およそ10年前、2014年1月に亡くなりました。建築分野での女性の地位に貢献したと、ジェーンドリュー賞を受賞した直後だったそうです(ちなみに、翌年には同じAAスクール出身で日本にも縁の深いザハ・ハディッドも同じ賞を受け、その年に亡くなっています)。
友人でもあったポール・スミスさんは、当時、彼女を悼んでブログを書いており、そこにはポールさんがわが家のお風呂のドローイングを添えていました。昨年ポールさんとお会いするチャンスがあったので、そのブログを探したのですが、すでに消えてしまっており、残念でした。
光畑「今、佐賀町のお話と、この屋上の緩やかな曲線の話が出たんですけど、実は同じものなんです。佐賀町でのインスタレーションが終わった後に頂いて、上につけました(「えーー!そうなんだ!」という反応)。
捨てるのも大変だからどうしようという話になって、じゃあ、うちの屋上につけようかっていうことで(「そりゃすごいわ」たぶん小池さん)。
1994年の1月にこの家ができて、その後佐賀町でのインスタレーションがあって、そこで巻上さんの声が流れていて、そのインスタレーションが、うちの家に来た」
光畑「この家の設計をお願いしたのはキャサリンたちのアトリエが御殿山にあった頃で。多分91年とか90年ぐらいから企画をしていて、その後つくばに引っ越してきて、ちょうど子どもが生まれる同じ日ぐらいに完成してるんですね。すぐ取材が入ったので、私は生後2週間で、ここにテレビのクルーが20人ぐらいいるみたいな状態で対応してました。キャサリンが考えた通りに、ここは外と中が繋がっていて、いろんな人が見に来たし、取材の方たちと皆で中庭でご飯を食べたり。そこに渡辺篤史さんのサインがありますけど、渡辺さんもここで2度ご飯をご一緒しましたが、20年の番組の中で一番気に入った作品の一つだと、徹子の部屋でも紹介してくださったことがあります。」
光畑「そんなのがずっとあったので、子育てがものすごく楽というか。たいした仕事してなかったのもありますけど。大人と話ができて。『お母さんの世界』ではなくていろんな世界の人がここに来てくれた。そういう意味で、いろんな人に囲まれていたおかげで、子育てが大変と思ったことがなかったっていうのはあるかなと思いますね。今日もね、ここに赤ちゃんがいるけど全然泣いてないですよね。きっとこの子もいろんなところでたくさんの人に囲まれてるんじゃないかと思います。」
小池「巻上さんは、この家ができたときに何かやった?」
巻上「いや、演奏はしてないんですよ。でもここは2回ぐらい来た」
光畑「今日も手伝ってくださった、つくばの伝説のライブハウスAKUAKUを主宰されていた野口さんの奥さんがモーハウスのスタッフだったってこともあって。彼が時々巻上さんをホールに呼んでらしたので、その時に来てくださったのではと」
巻上「つくばのホールのイベントで音楽を任されたときに。シベリアやオランダからアーティストを呼んで。その時はこの家はこの形だった?」
光畑「家だった時と、カフェになってからと、ほとんど変わってないんです。水回りぐらいで。あとは塗り直し。この床も全部ペイントし直しました。今回は別の建築家が入ってますけど、結局いろいろ考えると元のデザインは変えられないねって。
でも良くなったところが2つあって。この卵の青いお風呂が、イヴ・クライン・ブルーにしたいと、キャサリンが言っていたんですが、最初、イヴ・クラインというよりブルーシートみたいな色だったんです。
カフェの入口に、Dream、Desire、Dreadって言葉がついたオブジェがふわふわ浮いていて、その色はイメージ通りのイヴ・クライン・ブルーなんですが、お風呂の面積が塗れる塗料がなかったんですね、当時。今回はフランスで作られてる『イヴ・クライン・ブルー』の塗料を取り寄せて塗ったので、これは多分、彼らのイメージにより近い色になってます」
小池:「イヴ・クライン・ブルーって、彼(イヴ・クライン)が日本に来たときに群青色を見て作ったのよね。(そうなんですか!)」
光畑「あとは、入口のドアも、オリジナルより良くなってると思います。
キャサリンたちに設計をお願いしたときに、私はちょうど建築の編集をやっていたんです。つくばに引っ越すと、パルコでの仕事(パルコ出版と連動した美術展をやっていました)はできなくなるから転職して在宅で編集の仕事をしようと思って。そのときに担当してた本の校正をしてたら、サルバドール・ダリの言葉が出てきて。それが『未来の建築は柔らかくて毛深いものになるだろう』というものだったんですね。
それで、その言葉をコンセプトに設計をお願いしたんですけど、『柔らかい』はともかく、『毛深い』はどうしようと。それで屋上に草を生やしたんです。結果的にパーマカルチャーっぽいんですけど。
それと、入口のドアにも毛を生やすそうってファーを張ったんですが、私が実は当時気に入ってなくって。板のドアに、よくある安いぬいぐるみのようなファーを張ってあって、確かに毛は生えてるんだけど、あまり柔らかく見えなかったんです。
それで、今回私が授乳服作るついでに買っておいた、すごくふわふわした生地を張ってみたんです。でも、やはり柔らかく見えない。それで捨てようと思ってた羽布団を、学生さんたちと一生懸命中に入れてみた。ふかふかになったので、これは多分キャサリンが見てくれたら喜ぶかなと思います。
この卵のお風呂も、ガラスブロックの賞をいただいて、今回ここのお風呂に入る権利っていうのをクラウドファンディングに入れたんです。時間貸切1万5000円で出したんですが、4人しか選ばれなくて(笑)。本当は30万出してこのお風呂で出産する権利を入れようって思ってたんですけど、さすがにやめました。
晴れた日なんて、このお風呂に入るとすごく気持ちいいんですよね、外からの光が入って。そして、だんだん暗くなってくると、今度はランタンになる。中からの光で外を照らす。そういう仕掛けになってるそうです。
この家を作るときは、いちばん最初に作ったのが、まずこの卵。何もないところに卵が突然できて、近所の人は驚かれたそうです。つくば市に住民票なんかを取りに行くと、あの家の人ですね、みたいなことを言われてましたね。なんで知ってるんだろうって感じですけど」
小池「キャサリンの、いちばん最初のクライアントが建築ジャーナリストって書いてある」
光畑「それは、もしかしてうちかもしれない。ずいぶん設計時間かかったので、その間にトラスウォールハウスができたので、たぶん依頼は早かったと思う。キャサリンたちもここに1週間ぐらい泊りましたけど、気に入ってましたよ。昔、中学の美術の教科書にこの建物が載ったんですが、その時撮った彼らの息子さんが写ってます」
小池「使い勝手はどうですか?」
光畑「今ここで暮らしてた娘が、ここにいますけど、どうですか?」
娘「使い勝手??ずっとこれだったので(一同笑)」
巻上「ほんとこれだもんね。確かに」
娘「今はパルコで働いてますが、18歳までずっとここで暮らしてました」
光畑「中銀カプセルタワーにも5年住んでたんですよね」
永田「一瞬私、奥の部屋、中銀になんか似てるって思ったんですよ」
光畑「確かに窓なんかそうですね。中銀も解体されちゃいましたけど」
永田「荒川修作さんの三鷹の(天命反転地住宅)、あそこでも演奏したことあるけど、あそこは不安定ですよね」
光畑「不安定ですよね、(楽器など)置けないですよね」
永田「身体に危険を感じて。やっぱりよじれますね。ここはよじれない」
光畑「ちなみにこれ、ニキ・ド・ファールの画集なんですけど。小池さんもよくご存知なので、ちょっとご紹介すると、あの部屋の奥にある絵が、ニキの作品なんですね。ニキ美術館っていうのが元々パルコの最初の社長の増田通二さんの奥さんの静恵さんがコレクターでいらして、お二人で作られたんです。今は閉館して、息子さんたちが保管してるんですけど、今回このお風呂を写真でSNSに上げたときに、ニキ・ブルーのいいポスターがあるからプレゼントするよって言って、贈って下さったんですね。
ニキ美術館は那須にあったんですけど、景観上の条件があって、どんな家でも建てていいわけじゃないんです。最初ニキがプランしてるんです。その実現しなかったプランが、私はこの家に似てると思っていて。見てみてください。
そんなご縁もあって、ニキは大好きなアーティストです。筑波西武ができたときは、ニキの夫のティンゲリーの作品がドーンておいてあったらしいんですよね。それもねずいぶんすごいなと思いますけどね」
永田「うん。そこにもありましたね。彼もやっぱり西武が好きだった。いちばんはポンピドーセンターの横に。この間、ドイツの大きな美術館で、いろんな建物がいっぱいあるんですけど、日本の藤森さんの作品が置いてあったの。一瞬、肌合いが似てるなと」
光畑「草屋根の作品」
小池「藤森さんもやっぱり直線が好きじゃない。日本を象徴する風景で障子が出るのが嫌いなんです」
巻上「諏訪には、神長官守矢史料館とか。茶室もありますよね。高いところにあって使えないけど」
光畑「年に1回ぐらい梯子をかけて使うらしいですよ」
巻上「細川さんの家、湯河原のうちから歩いて5分ぐらいの所にあるんだけどね。入ったことないけど。高いところの茶室は、入ったら揺れそうで」
光畑「今度茨城では那珂市の道の駅が藤森さんの設計になりますよ。先日諏訪で偶然茶室に入らせていただきました。黒い服を着た人が茶室の前にいっぱいいらして、不思議な風景だなあと思って近くに行くと、せっかくだからって言われて。何だろうと思ったら藤森家の法事だったらしいんですね。結局。藤森家のおじさんと一緒に中に入って屋根を開けてもらって、藤森家の子たちと写真撮りました。(笑・面白い!)藤森てるのぶさんはいらっしゃらなかったんですけど。」
光畑「ちょうどいい(気温)ですね。あんなも暑かったのにね。何かご質問は」
学生「演奏を初めて聞いたんですけど、どういうふうに演奏されてるのかなと。自分たちは音楽っていうのは最近録音したものしか聞かなかったりする中で、その場その場で演奏される中で、たとえば今日だと、風とか、赤ん坊の声とかいったものもどういう風に意識しているのかなと」
巻上「なんとなく演奏してる(笑)」
永田「ちょっと言っていいですか?説明してあげないとわからないと思うから(笑)。さっきのは完全に即興なんですけども、誰でもできるわけじゃないんですよね。私もずっとクラシックの世界で、楽譜というしっかりしたテキストがあって、それを一字一句間違いなく再現して、でもそれでも音楽にならなくて、そこからちゃんと音楽に立体的に立ち上げられる人が演奏家となれる。
即興の場合はテキストがないので、瞬間ゲームなんですよね。相手の音を聞いて、自分の音を聞いて、秒単位よりもっと細かいぐらいにお互いに、頭使ってると時間かかっちゃうんで、頭を通過する前の肉体反応みたいなそういうので音で会話していかないと成立しないので、誰でもできるわけじゃないですね。できる人は限られている」
「ずっと聞いてると、どういうやり取りして、どういう読みをしてるかまで見えるんですよ。今、相手が困ってるなとか、悩んでるかなとか、苦しんでるかなとか、そこまで見えるんですよ、そうすると面白いかもしれない」
巻上「永田さんとはとても長いんですよ」
永田「でも、バンドで長かったんですよ。こういう2人でっていうのはやってない、即興演奏は。でもすごくやりやすい。」
巻上「ホントに瞬間に聞きあってる」
永田「相性があるんですよ。人の音を聞かない人は無理。いくら演奏がうまくても人の音を聞かない人もいるんですよ。」
巻上「いろんな感覚、リズムとか音程とか、瞬時に判断して、適切なものを選びながら進んでいくので、楽しんでやれるんですよね。でもそういうことができる人はとても少ない、確かに。」
永田「だからできる人は少ないからできる人ばっかりが売れっ子になってずっと動いてるんですよ。あちこち同じような人と」
巻上「最近5年くらい前にどうやってこういう音楽を聞くかっていう手引きの本が出たんだよ。それ面白いこと書いてて。バードウォッチングだと(笑)バードウォッチングみたいに聞くといいっていう」
永田「鳥は、すごい緻密なアンサンブル。感動するのはカエル。カエルのアンサンブルは、すごい厳密に構築されてるんです。すごいなあと思いますね、動物は。そういうのを模したのは、バリ島でやってるケチャ。全部数学的にきちんと練られてるんですけど、元は多分、動物のセッション。西洋人が組み立てたって説がある。
小池「1920年代のドイツから行った人たちがやってたって聞いたことがある」
巻上「でもあそこだけに集中して発達したってのは面白いなと思うけどね」小池「それがバリの人たちの素敵さじゃないかな」
永田「すごいよくできてますよ。組み立て方が。スティーヴ・ライヒは、ミニマルミュージックの天才とか言われてるけど、ああいう方は頭がいいからアフリカの音楽を分析して、おしゃれに綺麗にしてるんです。」
小池「それはねファッションもそうですよね。自然に帰るとかフォークロアとかね」・・・・
録音したのはここまで。話は建物だけでなく、音楽やファッション、ピカソなどのアートにも及んでいくのでした。
話している間に、だんだんあたりは暗くなり、卵のお風呂にほんのりと灯りが。
キャサリンを知らない方がほとんどだったのではないかと思うけれど、皆でお話と空間を楽しんで、キャサリンへの手向けになったかなあと思います。またこんな会をいつか開ければと思いますし、こんな風な使い方をいろんな方にしていただきたいなあ。