#言い訳して思ったこと、言ったことをやらない自分に、サヨナラしたい
今回は僕の内なる葛藤を綴ろうと思います。
本気でやりたいと思ってもブレーキがかかる
お恥ずかしい話、人事として学生に『やりたいことは何?』とか『決断するにあたって今より身軽な状態は未来には来ないよ』とか言いながら自分が一番ダサい状態にいることを自覚しております。。。
学生に言っているようで、自分に言っていると思う事もたくさんあります。でも、だからこそ毎日『自分は本当にやりたいことができているのか?』という問いをもらえていて、だからこそ自分に葛藤が生まれるものだと思います。
目の前の仕事をやることはもちろん大事!!でも、忙しさにかまけて(かまけている日も確かにある)自分の本当に向かい合うべき問いに課題に向き合えないのは僕は人生において勿体無いと思うのです。
大人ってずるい
この間『初めて恋をして日に読む日記』で深田恭子が言われていたこと(録画で見てるので遅れてます笑)。「大人ぶって理解したふりして自分の嫌な部分を受け入れた風を装わないでよ!」衝撃を受けました。
最近の自分の課題は『承認欲求』。認めてほしいとか思ってしまう事ですね。僕の場合はちょっと分かりにくく、認められるために行動に制約がかかるわけではなく、自分のやりたいことをやって認められたいに近い。そしてこの文章を書いているのも本当は嫌だ。自分の中にある承認欲求なんて本当は認めたくないし、そんなに軽々しく『承認欲求あります』なんて言いたくない。。。
それは僕自身、本気で誰かのために何かをしていたいと思うからこそ、そんな雑念を持っている自分を受け入れられない、ある種こだわりみたいな部分なんだと思っています。
大人はそんな自分を差し置いて学生の皆に『やりたいことは何?』とか聞いているわけです。
やりたいことやる不安
これが付きまとってくる感じしますよね。例えば、人は歌手やダンサーなど音楽で表現する事、絵を描いたり何か創ったりするモノで表現する事、文章で表現する事等ができます。やりたいことをやって表現したいように表現してそれで生活できるとしたら、それで生きたい人はたくさんいると思います。わざわざ好き好んで、サラリーマンになるような人はきっと稀でしょう。
しかし、世の中はそういう人で溢れています。それは何故か。
それをした時に、実際に自分にその実力や才能がないことに気づきたくないからだと思います。やりたいことだからこそ、好きだからこそ、『出来ない』『才能がない』という事実はとても耐えがたいです。
結局サヨナラしたい自分て…
やりたいことって、自分がやりたいことだからこそ出来なかったりする。やりたいことだからこそ周りの評価が気になったり、結果がついてくるか心配になる。僕は【人類愛で、人の「やりたい」を「やる気」にする】という言葉をパーソナルミッション(志)として持っています。
承認されないし、認められないし、愛されないからからできない・やらないのではなく、承認されているし、認められているし、愛されている存在として今自分が何をするのか。そこに向き合いながら、多くの人の背中を押すことのできる人になりたいし、自分の背中も押してあげられる人になりたい。いろんな人のパワーを解き放ってあげることができるんじゃないかと思っています。
これからも皆さんの背中を押す手伝いをさせてもらいたいと思います。
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