2024年 いのちを呼びさますもの
「いのち」に向き合う2023年がすぎ、2024年がやってきた。
1月1日に想いを綴っておこう。
2023年10月23日に、大切な人を見送った。亡くなるまでの1週間は毎日夕方から夜まで付き添った。
22日の夜、最期にそばにいたのは私だった。
癌の末期の痛みが全身をかけぬけ、少しでもやわらぐように首や手や足のマッサージをする。
少しずつゆっくりになる心臓のリズムと全身が脈打つんじゃないかというような拍動の強さ。
最期の最期まで、「生きよう」とするいのちの力が訴えてくる。
今、生きているということ。
それだけに向き合った時に、泣いてる場合でも悲しんでる場合でもない、と知った。
聴覚は最後まであると聞いてたから、歴代のCMソングを流しながら思い出話をした。
一緒に教育をした日々、あの時はこんなでしたね、と語りながら、きれいな手を握る。
今日が最後かもしれない、と毎日眠れなかった。
明け方電話があって、どんどんと血圧が下がってるとのこと。
病院までの1時間のタクシーが、どれほど遠かったかわからない。
到着するちょっと前に心臓が止まった。
まだぬくもりがある身体。
さっきまでいのちがあった身体。
でも、昨日と全く違う。
魂が抜けると抜け殻になってしまうんだな、と思った。
はじめて声をあげて泣いた。
わんわん泣いた。
ずっとよくしてくださってた看護婦さんも涙ぐんでくれて、どうしようもない瞬間にたくさん立ち会ってる悲しみを共有したような気持ちになった。
それから、お部屋を片付けたり、やることがたくさんあったから、悲しむ暇はなかったし不思議と悲しくなかった。
位牌の写真を探したり、整理をしていたら、一緒に仕事をすると決まって目の前の席に座った時の私の写真が出てきた。
うれしそうに撮ってくれたポラロイド。
もう25年も前の写真。
「今日から、先生と言われるけどちっとも偉くなったわけじゃないのよ。あなたの仕事は、人が困らないようにすること」
教育者になって勘違いしないように、どこに視点を持ったらいいのかをニュートラルにキッパリと教えてくれた。
「任せたら最後まで口を出さない。泣いても、やりきらせること」
「自分が手を抜いたら相手は手を抜く。最後まで気をぬかない」
人に任せるとは、腹括って信頼することだと教えてくれた。
どんな時も味方でいてくれた。
「あなたがやってることは正しい」と、小さな手紙をたくさんもらった。
いつの間にか、頼る存在から頼られる存在になって、いろんなことを頼まれるようになった。部署が離れていても、よく助っ人をしてたなぁ、、、無茶振りに応えながら過ごした日々は懐かしい。
亡くなってから1ヶ月ほど、かたみわけでいただいた彼女の服を着て過ごした。
他人の靴を履くというけど、服を着て世界を眺めてみた。
よく着てたなぁという思い出がいっぱいつまった服たち。
自分であって、自分でないような、あちらとこちらを行き来するような時間だった。
ぼんやりと柔らかな光の向こうから世界を見ているような感覚。
12月1日に、戸隠と善光寺にお参りに行って何かが落ちた。
もういいんだな、と。
そして、新しい服を買った。
そして、49日にあたる9日の日に100名を越える「偲ぶ会」を開催して、私の役割は終わった。
と、そのレストランを出る時に「もういいわよ」と背中を押されたように転んで、骨折した。
笑っちゃうけど、「はい、休んで休んで」と言われたようだった。
私と彼女との歴史は長く濃かった。
前世でも、一緒だったんじゃないかと思うし、また来世でも会うんだろう。
「行ってみたらなかなかあの世もいいわよ」とか言ってそう。
もう医療で出来ることはないと告げられた時に、送ってきてくれたLINE。
バトンを受け取ったのだと知る。
「その人の先の事を考え、どんな時もしあわせ感を感じられるように考えてあげられる
自分も周りもしあわせになること
理想ではなく現実になること」
開華塾も、開華道メイクも、根底にあるのは一人一人は本当にすごいいのちで、
たった一人のその人しかいない唯一無二の存在。
同じ過去も同じ身体の人もいないのだということ。
その尊さがキラキラと輝く世界を目指している。
それは、マコトが響き合う世界、愛と感謝と悦びが循環する世界
2024年は、受け取ったバトンを次に繋いでいけるように、自分を見損なわず生きる。
内省と対話のワークショップをたくさんする。
それにより、自分のど真ん中で生きることが出来て、世界が面白くてやさしくなっていくから。
そして、人は一人では生きられないから
マコトが響き合う「奇跡のチーム」を世界に広げて行く。
いのちをよびさまし、マコトが開華する
やさしい世界をつくっていくのだ。