いじわるのない世界の作り方
前回こんな記事を書きましたが、どうやったら世界が作れた!と思えるか、そして、その目的のために取る手段を具体的に書いていきたいと思います。
まず先に手段から。
私は昔から「やってみたい事」がたくさんありました。
中学の入学式に新入生代表で答辞を読む人に立候補したりクラスの会長になったり、専門学校では学科の代表として学校のHPにブログを書いたり。
何かしら「代表」として責任あるけど権利も持つ立場の仕事に惹かれていて、自ら名乗り出てやっていたような子供でした。
でも、注目されるのは好きじゃないんです。
何かしらでしゃばる私は割と周りから疎まれていたので、人から注目される事に良いイメージはありません。
ただただ、代表者がする作業に特別感があって、やりたかったからやっていた。
それだけです。
立候補しない人が立候補する人を疎むなんて、今考えると意味はよくわかりませんが
あるあるっちゃあるあるですよね。
興味があってやりたい事が人から目立つ事だったり、人があまりしない事だったりすると、何かしらのリアクションが私に向かって放たれます。
それが割とストレスでした。
貶されたり笑われたりするのもストレスだし、変な期待をかけられるのも嫌いでした。
したいようにしてるだけなのに、なぜ他者がそれについてなんやかんや言ってくるのか。
いつもその事が不満でした。
他者へ関心や興味、注目をなくせ!という事ではないんです。
でも、そればっかりの人いませんか?
田舎で育ったからでしょうか。
偏見もあると思いますが、異端だと感じる相手への執着があるような気がしていて。
私が転校生なことも影響があるのかもしれませんが、なんか変な執着を引き寄せる体質のようで、それが嫌でしょうがなかったんです。
他者への関心や興味の根底に尊敬があれば、それは良い循環や成長になると思いますが執着が根底にあればそれはストレスやトラブルの原因です。
そうならないために「自分自身に集中しよう!」という事を言いたい。
五感を意識する事から始めてから、自分に集中する時間が自然に長くなってからいろんな事に気づけるようになったように思います。
前回の記事のちゃんみなさんとマツコさんの言葉も、あの動画って最近のものではない。でもあのテレビが放送されていた時にタイムリーにみていたとしても、こんなにあの言葉が響くことはなかったと思います。
今の自分の感覚にしっかり向き合っている姿勢が取れていた私だから、良い刺激として大きな気づきとして受けられたんだと思います。
みんなが自分自身に集中したら、いろんな事に気づけて自分のやりたい事に夢中になって、他者に執着してる暇なんかなくなるんじゃないか。
そう考えています。
要は私に執着からくる興味を持つ人を減らしたい!
私がストレスを感じず、思い切りやりたい事をやり切れるようにしたいんです。かなりの自分のための行動です。
でもそれで良い。みんなそうあればいいのよ。
そして、ゴール。
ゴールは「それを諦めずに言い続けている自分でいる事」です。
自分の気づいた事を信じて
自分の感覚に向き合って
自分の世界を諦めずにいる
その状態が標準になって
そういう人だと、周りにも思ってもらえるようになったらゴールかなと思います。
「やりたい事やろう。他者に執着せず、自分の楽しい事やって生きていこう。」
そればっか言ってたなぁと今際でいう事。
それがゴールです。
長い長い道のりですが、腹括っていきたいと思います!