”個の視点”と”大衆の視点”ともっと他の視点
先日、友達に「自分には世界を見る視点が自分の目しかなかったけど、大衆の一人だという視点が必要だなって気づいたんだよね」という話を聞いて貰いました。
私は世の中は「個がいっぱいいる状態」という視点でしか見ていませんでした。
でも、ヌーの群れなんかは「群れ」として見る視点と「個がいっぱい」という視点の2つで見ていたし、アリも「行列」という視点と「個が並んでる」という視点の2つで見ていました。
今考えると人間を「大衆」として見る事を「個をないがしろにしている」という風に感じてしまっていて、なんだか罪悪感があったんです。
でも人間も「個」で見る時もあれば「大衆」で見る時もある。
人間にも動物と同じで「性質」とか「習慣」とか「反応」がある。
最近読んでいたこちらの本
で「スキーム」という言葉が出てきました。”スキームとは”でググるとAIによる概要で【英語の「scheme」に由来するビジネス用語で、「計画」「案」「図式」「枠組み」といった意味があります。】
と出ます。
ですが、心理学では「まとまって記憶されている情報や知識」のことを指すそうです。私たちが日常生活を送る上で無意識に幼少期に教えられたり自分自身で経験をする事で無意識に取るようになった行動というのはたくさんあります。
赤信号で止まるとか、行列に割り込まないとなどです。
(このスキームも持ってない人もいますが)
日本に生まれて、日本の文化やルールや環境で育った人で共通のスキーマは他国で生まれた人より多いと思います。この土地で育った人、この小学校に入学した人、この家族で育った人、それぞれに共通のスキーマがあります。
そういったものがあると事を理解して生活する事は「個をないがしろにしている」事とはイコールにならないと思う。
この視点をもっと早く持ってたら思春期に過剰に疎外感を持たなかったのかなぁと思う。
私は保育園を5回転園しています。
小学校の上がる直前が最後の転園でした。
1か月ほど保育園に通って、卒園・小学校の入学。
保育園で友達になった子もいるけど、自分以外はみんな幼馴染で私は本当に転園生だった。
「転園生です!」と堂々と言い続けられたら、自分の個性として持てていたら良かったのかもしれなけど、小学校に入学した途端、転園生の肩書はもう使えなくなってしまって、宙ぶらりんだなぁという意識がずっと残ってたように思います。
「自分はどこのグループにも属せない」という思いが常に疎外感を抱く原因になったような気がします。
視点って大事だよなぁという事を伝えたくて友達に話を聞いてもらっていたんですが、とてもおもしろかったのが友達が持つ「個」の視点。
その友達は数秘という占いの占い師さんで、よく性格分析に数秘で私を分析をしてくれます。
数秘的に私は元々「個」という意識が強い、という性格のクセがあるんですが、友達は逆の性格のクセを持っていて、私が持つ「個の視点」言葉の通り私だけの目線なんですが、友達の「個の視点」というのは友達とご主人二人から見た視点なんだそうです。
私は「個」っていうのは勝手に「人数は1人」と定義づけていたんですが「個」というのは「1」という意味じゃなくて「最小数」という言葉の方が合っているようです。変な先入観というか固定観念があったんですが今回は最速で気づけた良い機会でした。
人は「個の視点」で世の中を見てる。でもその「個」は人によって違う。「個の視点」だけじゃなく、世の中にあるものを正しく見るのであれば2つの視点、細かく見るのであればもっとたくさんの反射鏡がいる、という事を本当に深く理解できたなぁと自分で感じています。
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