(過去記事20060628) S吉の”マーサ・マイ・ディア”に超感動!
はじめて集会に出席した日、たまたま隣に座った福岡出身のS吉という同じ1年生の新入部員といろいろ話しをしているうち、S吉が鍵盤弾きであることや、僕と同様ビートルズ好きであることなどが判明。さっそく翌日か翌々日にサークル棟310で落ち合い、彼の演奏するピアノを聴かせてもらうことになりました。
人生において、何度か「脳天を打ち抜かれるような感動」を味わう瞬間があるとすれば、あの日、S吉がおもむろに弾き始めたビートルズの"マーサ・マイ・ディア"を聴いた時がまさにそれ。まるでほんもののポールが目の前で演奏しているかのようにS吉の弾く"マーサ〜"は完璧でした。感動のあまり頭がクラクラしている僕に、S吉はたたみかけるように"ゴールデン・スランバー"、"レット・イット・ビー"、"イマジン"、"死ぬのは奴らだ"、"ワンダー・ラスト"などビートルズナンバーを次々に演奏してくれたのです。僕はもうただただ恍惚として、恋におちた乙女のごとくS吉の華麗な演奏をほとんど涙ぐみながら聴いていたような気がします。
実はこの日にあたって、僕は「S吉よ、俺のギターを一発披露してやるから感動しやがれ」のような恐ろしく不遜なプランを持っていたのですが、S吉のピアノを聴いた瞬間、強気だった僕の気持ちはたちまち萎え、「あなた様の前でわたしがギターを弾くなんてめっそうもございません」と当初抱いていた不遜な考えはどこへやら、S吉の軍門にくだってしまったのでした。
僕はS吉に「頼むからピアノを教えてくれ」と頼み込み、五線譜など書けるはずもない僕は、ルーズリーフにS吉が教えてくれる音を「右手ソ」「左手ミ」のように書き取っていきました。その日を境に、授業なんかそっちのけで教育学部のピアノ棟や310に日参し、狂ったように「ミ」や「ド」などS吉直伝の音名が書かれたルーズリーフとピアノに向かう日々がはじまったのでした。ちなみに僕は法文学部なので、教育学部のピアノ棟への入室資格はまったくなかったのだけれど、そんなことはおかまいなし。とにかくピアノを求めてあちこち侵入していたのです。
それが僕とS吉との出会い。1983年の初夏、僕もS吉も18歳でした。
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