「創世期はおもしろい」


 創世期といっても、何も人類の創世紀のような大事(おおごと)な話題ではない。
 どんなことにでもその最初期がある。
 ソニーの最初。パナソニックの最初。トヨタの最初。もっと広く括ればその業界の最初。
 私がずっといた日本語教育業界にも、その最初期はあった。
 その当時はもう何でもあり、の世界で、少ししてこのままではイカンということで、国が乗り出してきて、きちんと日本語教員のレベルを確保しなければということで検定試験ができたり、一定の基準を定めてその基準に達しなければ入国管理局がその学校への学生のビザを出さないとか、いろいろな取り決めを定めるようになった。
 確かに、何でもありの時にはそれこそひどい学校もあったかもしれないが、今から思うと本当に様々な人材が集まっていて本当におもしろかった。九州から出て来て幾多の仕事を変遷し、なかなか普通の仕事に定着できなかったあの人。学生との交流が楽しみで専任の口を断りながら真摯に学生に対していたあの人。
 中でも親しかったNさんは、韓国語が堪能で、後年はずっと韓国で生活していた。一度訪ねた時には一緒にソウル郊外の山に登り、すれ違った現地の人に「日本人連れてきたのか?」と聞かれたとのことで、すっかり現地の人に同化するほど、それだけ語学堪能だったのだろう。
 その人がどんな授業をするかというと、朝来て週刊誌なりなんなりの雑誌のページをコピーし、それで4コマ(1コマ45分)を消化するのである。カリキュラムをきちんと整えておかねばならない今のご時世では決して許されないことかもしれないが、よほどの知識と対応力がなければ決してできない芸当でもあるのだ。
 学生との過ごし方もまた今から考えるとハチャメチャなものもあった。
 卒業式の後くらいは学生と一杯は今でも許されるかもしれないが、当時はけっこう学生とハチャメチャに飲んだりもした。授業中はずっとねぼけまなこの学生がアルバイト先では本当に生き生きとシェイクを振る。なんなんだ、この落差はと目がテンになった。
 どこかで飲んでから、学生の一人が「先生、これから銀座へ行きましょう」と言う。そんなに金ないよ、というと「大丈夫、任せてください」と言うのでついて行くと、銀座通りの七丁目あたりの階段を上り、閉まっているシャッターを鍵を出して開け、「さあどうぞ」と言うではないか。その学生がアルバイトをしている店だったのだ。結局ごちそうになったのだが、銀座で高い酒を飲んだのは、たぶんそれが最初で最後だった。
 創世期というとそれほど人数が多くないので、後年になって出世する仲間もたくさんいた。こちらはそれほど研究熱心でなく学生とのやりとりを楽しんでいた方なので、出世にはとんと縁がなかったが、今では大学の教授や准教授になっている人も何人かいる。
 こういうことから、それぞれの分野の創生の時を想像するのは楽しい。テレビ業界、芸能業界のそれ。航空業界のそれ。出版業界のそれ。それそれときりがないが、きっと、こちらにはわからないようなダイナミズムな世界がそれぞれにあったのだろうと想像する。
 ちょっと前までは、SNSがこんなに幅をきかせる世界など想像できなかった。ずっと後になって、あの頃がSNSの創世期だったね、と振り返る頃、どんな世の中になっていることだろうか。

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