最近の自分について

 私は今、大学三年生でそろそろ就職活動を本格的に始めようとしている時期である。
 ここ最近は自分のキャリアや今後の人生についてずっと自問自答を繰り返している。私は一体この世に生を受け、一体何を成し遂げ、どのような人間になりたいのか。そんなことばかりを考えている。
 おそらくこのような疑問というか思考は誰しも一度は浮かぶものありきたりなものだと思うが、今がまさに私にとってその時期なのである。
 今日の世の中の潮流として、コスパ・タイパが重視されていると私は常々実感している(ちなみに私が最近もっとも嫌いな言葉がタイパである)。頭の回転が早いこと、生産性を高める、情報を早く探し出すこと、などといった「早さ」があらゆる場面で求められていると感じている。
 私はこの「早さ」を追い求める競争から離脱したい。おそらく私は「早さ」については苦手ではないし、人よりも少し優っていると思う。しかし、私はじっくりと「遅く」思考をすることが好きだ。人間はじっくりと思考を張り巡らせることで、より深い場所に辿り着くことができる。VUCAの時代と言われて久しいが、このVUCAの時代に適応していくために「より早く」あらゆることを遂行することが求められている気がする。だがそんなに忙しなく急いだ先に一体何が待っているのだろうか?
 私は「早さ」を求めて忙しなくするよりも、ゆっくりじっくり思考をしたい。本を読み、歴史を知り、考えて考えて人間の種としての目的が何なのかを解き明かしたい。
 まあ端的に言えばこのところ私は哲学者になりたいのだ。どうやって哲学者になれるのか?そればかり考えている。私は経営学部生であって文学部で哲学を専攻しているわけではない。経営学で企業の経営について学ぶにつれて人間の営みの意味を知りたくなってきたのだ。好奇心を抑えることはできない。
 私は学ぶこと、思考することが好きだ。しかし問題がある。これだけでは現代社会では生きていけないのだ。これだけをするためには学者になるか、無限の資本を手に入れて金銭的制約から解放されるしかないのである。
 だから私は最近は文学部に入り直すか、資本家になり自由を手にするのか、はたまたそれ以外の方法があるのかを模索しているのである。
 訳のわからない戯言にも近いがそんなことを考えながら國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』を読んだり、クラウゼヴィッツの『戦争論』を読んだりしながら過ごしている。
 哲学者になる第一歩として、こうして文章を書き残しておく。
2024/11/5

いいなと思ったら応援しよう!