あ、うつなんだ
肌寒くなってきて、改めてそう思った。
見た目によらず、とよく言われてしまうが手芸や何か細々とした作業や料理は好きだった。
全くうつの自覚が無かった診断前になにかおかしいと思ったのは、
・卵が上手く割れない
・段取りが悪い
・料理自体が面倒だと感じる
と料理に関してがメインだった。
無意識にやれていた事だったり、得意としていた順序だてが出来なくなっていた。
職場へ持っていく弁当も冷凍食品を使わず全て手作りで彩りや品数、栄養のバランスを考え、
仕事が長引きそうで使い捨ての容器で持っていった日には、レンジで温め座席に戻る際に
「それどこで買ったんですか?」
と言って頂ける程にはいい仕上がりに出来ていた。
それが徐々にこの味が好きだから、と自分に言い訳をし精神科で診断を受けるまでには
昼はコンビニ弁当、夜もコンビニか、白米にお味噌汁をかけて流し込むと言う生活になっていた。
手作りのものだけで埋めた弁当箱は、私にとっては趣味でもあり誇りのような物も感じる物だったのに、それを作る事が億劫になってしまっていたのだ。
料理に関しては投薬治療を受け、今ではある程度はまた作る気力が湧いてきている。
弁当も以前より見劣りはするし、冷凍食品も使ってはいるが作れるようになった。
昨日の記事に書いたようにオートミールを使ったレシピにも挑戦している。
自分なりのリハビリのような感じで、出来る範囲で無理なくまた趣味として楽しめるようになればいいなと妥協もしながら続けていくつもりでいる。
が、しかし。手芸に関してはやりたいと思う気持ちは湧くのだがなかなか手が付けられないと今朝気付いてしまった。
毎年この時期になると100均で毛糸を購入し、1-2品は作っていた。
いよいよ寒くなってきたと冬小物を出していたら、出てくる過去の成果物を見てタイトルが頭に浮かび、うつという物は厄介だなと改めて感じた。
小学生の頃から毎年恒例としていた物が今年は全く手が付けられないのだ。
今年は毛糸を買う事すら躊躇してしまっている。
手が付けられる自信が無いのだ。
完成間近まで編んでも納得が出来ず解きなおしてまた編み直したりするほど没頭していたのにだ。
もちろん素人の手慰みレベルだが、毎年楽しんでいた物にこれ程まで無気力になってしまっているのは衝撃を受けてしまった。
発症前の自分が羨ましい。
自分はだらしのない方に入る人間だと思っていたが、過去の自分は今の自分より精力的で色々な事に挑戦していたのだなと思える。
うつ病の人がだらしがないと言っている訳では無い。
だらしがないと思っていた自分が羨ましく覚えるくらいの無気力感をうつ病は人に与えるのだ。
初回処方の薬で料理を取り戻せただけでも私は恵まれていると思う。
抗うつ薬の合う合わないは激しく、またそれぞれの薬の効果が現れるまでは1ヶ月以上かかってしまうこともあるそうだ。
合わない薬で1ヶ月耐え、薬を変えてまた1ヶ月耐えるという苦しみを背負ってしまっている人も居るのだ。
無気力な中でも、治療法として「趣味など好きな事をしよう」と言われるのでうつのせいで薄れてしまっている興味を奮い立たせ、好きな事を何とかこなしている人も居るのだ。
そんな人に、「好きな事は出来るんだね」と心無い声をかける人も居ると友人から聞いた。
うつを理解しろ、寛大になれとは思わないが
わざわざかける言葉でも無いだろう。
心の中で思うのは止められないし、自由だと思う。
だが口に出すのは控えた方がいい。
もちろん、うつを理由としてあれもこれも出来ないと主張して楽をしようと思ってる人も中には居るかもしれない。
その見極めをしろとも言わない。
ただ、こんな人へも同じ声をかけた所で腹立たしい答えが返ってくるだけだろう。
それどころかその言葉で傷付いたとさらに増長する可能性すらある。
本気で苦しんで居る相手へも、言い訳として使っている人にもかけるべき言葉では無いと思う。
前者に対しては相手の為となり、後者に対しては自分の為にもなると、そう思う。
後者が職場にいて腹立たしいのであれば、上司へその旨伝えれば会社という組織がそれなりの判断をするだろう。
その際は日付や時間、場所など事細かに、且つ主観は入れず事実のみを日記などにまとめておくのをおすすめする。