あいちトリエンナーレ 知事の見解③9月10日付考えのまとめ

大村知事は、河村市長の意見発表文書(8月8日)を受け、考えをまとめた文書を9月10日付で発表しています。

この文書の中で、

1.展示を中止した経緯
2.本件展示と表現の自由について
3.トリエンナーレの意義について
4.まとめ
5.今後について

について述べています。

1.展示を中止した経緯(抜粋)

本件展示の中止については、来場者の安全確保等の観点から実行委員会会長である私と芸術監督が相談して決めましたが、上記のとおり緊急避難的な対応としてやむを得ないものと考えています。

2.本件展示と表現の自由について(抜粋)

今般、本件展示の内容が「日本国民の心を踏みにじるもの」といった理由で展示の撤去・中止を求める要求がありましたが、もし事前に展示内容を審査し、そのような理由で特定の展示物を認めないとする対応を採ったとすれば、その展示物を事前に葬ったとして世間から検閲とみられても仕方がなく、いずれにせよ憲法 21 条で保障された表現の自由の侵害となることはほぼ異論はないものと考えます。

憲法は、表現の自由だけでなく、19 条で思想・良心の自由を保障し、14 条で法の下の平等も保障しています。したがって、公権力は、補助金の交付といった便益の供与・サービスの給付的な局面で用いられる場合でも、こうした基本的人権に反することが許されないことは当然です。

表現の内容、思想や良心に立ち入り、表現や思想等の内容次第で便益の供与やサービスの給付の取り扱いを判断し区別することは、これら基本的人権の保障に反することは明らかです。公的な場であるからこそ、多様な表現が保障されるべきことが、憲法の要請と考えます。

3.トリエンナーレの意義について(抜粋)

いうまでもなく、芸術の価値に対する評価は百人百様です。したがって、誰
もが芸術的価値を認めるものだけの展示を認めることになれば、こうした展示展は成立しません。

テーマや展示の選択など芸術的内容に関わる点は、芸術分野の専門家を中心としたメンバーで選ばれた芸術監督やキュレーターによる議論・検討を経て決定されています。愛知県は、施設や財政面、事務局スタッフの人的支援といった観点で中心的な役割を担っていますが、愛知県や私が芸術的な価値について当否を判断して展示内容を決定したものはありません。

4.まとめ(抜粋) 

表現の自由、思想・良心の自由、法の下の平等といった基本的人権は、突き詰めれば「個人の尊厳」に行き着くと考えられます。人は誰もが異なる存在であり、そうした多様性を互いに認めて尊重すべきです。

公権力を行使する職にある者にも、表現の自由、思想・良心の自由、政治的な意見は個人として当然保障されるべきです。私も個人的な意見等はもちろんあります。ただ、他方で、公権力を行使する立場にある者、特に行政権を執行する職にある者は中立性が求められます。思想や良心の中立性ではなく、行政権を公正に執行すること、すなわち、例え自分の思想や信条、政治的立場と異なる相手であっても、法に従って公正に職務を行うという職務執行上の中立性です。

首長としての行為や発言と、個人的な行為や発言とは厳に区別されるべきですし、多様な価値観や意見の衝突があるのであれば、個人的な意見表明を行う場合でも公私の区別を明確にして謙抑的に行われるべきです。自らの思想や信条をそのまま具体的な職務執行やその要求に直結させることには疑問を持たざるを得ません。

5.今後について(抜粋)

私たちは、今回のあいちトリエンナーレでの出来事を、表現の自由に関する
メッセージを世界に届ける機会にしたいと考えています。その作業に、是非作家の皆様、キュレーターの皆様、そして多くの県民の皆様(全鑑賞者)にご協力いただきたいと思います。

文書を読んで

大村知事はあくまでも個人的思想をはさまず、行政の長としてするべき判断をしています。

一方で河村市長は、個人的思想において動いていると思います。そうなると、展示の許可や公金の支出の基準があいまいなものになっていき、政府や行政の意に沿う作品しか、扱われなくなる可能性がありますね。

法を守る姿勢をとった知事が、法を軽視する市長が主になってリコールの対象にしているわけです。知事が法を侵したならまだしも、おかしなリコール運動ですね。。