あいちトリエンナーレ 知事見解②8月5日 展示中止後の会見
会見の内容
大村知事は、2019年8月5日定例会見において、「表現の不自由展」につき河村市長から寄せられた抗議文についての見解を述べています。
知事発言のポイント
・公権力(税金)で(展示を)やるからこそ表現の自由は保障されなければならない
・税金でやるからこそ、むしろ憲法21条はきっちりと守らなくてはいけない
・この(作品の)内容はよくてこの内容はいけないということを公権力がやるということは許されていない
・21条解釈の定説である
・自分の気に入らない表現があっても表現は表現として受け止めるというのが今の日本国憲法の原則、戦後民主主義の原点
当日会見の文字起こしはこちらにあります。
また、作品に踏み込んだ河村市長の考えは憲法違反の疑いが極めて濃厚であるとしました。
河村市長が送った抗議文とは
では、河村市長の、知事の発言のきっかけとなった抗議文とはどんなものでしょうか。
市長発言のポイント
・「表現の不自由展」は、「日本国民の心を踏みにじる」行為
・行政の立場を超えた展示が行われていることに厳重に抗議
憲法第21条とは
「表現の自由」について定めた憲法第21条
第二十一条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
知事が会見中で引用した憲法第21条の解釈
人はその内面に持つものを外に表現して他者に伝えることができたときに、一人の人間として幸せを感じることができます。また、一人ひとりが自分の意見を自由に他者に伝え政治に反映させることができてはじめて民主主義は成り立ちます。このように表現の自由は個人にとっても社会にとっても不可欠の重要な権利です。こうした言論活動は、その多様性が確保され自由活発に行なわれることでより進化します。
本条の核心は、既存の概念や権力のあり方に異論を述べる自由を保障するところにあるといってもよいでしょう。そこに国家が予め介入してコントロールすることは許されません(検閲の禁止)。公権力が思想内容の当否を判断すること自体が許されていないのです。
なお、本条によって情報を受け取る側の知る権利も保障され、公権力に対する情報公開請求が民主主義の実現にとって重要な役割を果たします。情報を持つ者が持たない者を支配することがあってはならないのです。
(出典:法学館憲法研究所 日本国憲法の逐条解説)http://www.jicl.jp/old/itou/chikujyou.html#021
法曹界の見解
法曹界の見解の一例ですが、東京第一弁護士会は以下のような会長声明を出しています。他の弁護士会も概ね同じ考えです。
これによると、知事の判断が法に沿ったものであることが分かります。
また、「公権力が、表現内容に異議を述べてその中止を求めることは、表現活動に多大な萎縮効果をもたらすものであり、到底許されるものではない」として、市長の主張を批判しています。
法に沿った決断をした知事と、法を守ったことに抗議する市長。どちらの言い分が公の立場として適切だと思いますか?