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海辺のカメラノート 1 私はなにを撮ればいいのだろうか?

 近所の公園でずっと写真を撮ってきた

 本格的な夏が来る前の蒸し暑い平日が好きです。昨日久しぶりに自転車で近所の葛西臨海公園に行きました。ほんの5分ほどのところにあります。このあたりは1980年代からずっと撮ってきているエリアです。隣の東京ディズニーランド開園が1983年。それまでの下町らしい町(砂町)から、ちょっと雰囲気の違う新しい「街」に引っ越し、まだ造成中の臨海公園を散歩しつつ、折からの「ウォーターフロント」ブームで人が集まりはじめた公園や人口渚を中判カメラ(カラーフイルム)で熱心にスナップしていきました。それらは「 NEWCOAST」というタイトルで、1995年に東京都写真美術館の開館展に出品したほか、何度かシリーズとして個展をおこなってきています。最近では昨年写真展「島から」(エプサイトギャラリー)として開催しました。それらはある意味で私のアルバムのようなものでありますが、結果として時代背景にその時代がうっすら見えてくる人と風景の記録にもなっています。
 バブル、世紀末、東日本大震災、グローバリーゼーション、コロナ禍という時代が通り過ぎていったわけで、それらは私自身の暮らしとも重なり、まるで「大河ドラマ」でも見るようなものではありますが、実際写っているスナップショットは、それほど深刻なものでなく、むしろ淡々とした日常と束の間の非日常の繰り返しとなっています。

NEWCOAST ・なぎさの日々 (2017)
 

 これらの写真と東京の周縁を撮った80年代のカラー作品を来年写真集としてまとめようという計画があり、また詳しくここでも書き連ねることがあるかと思います。ここでは、表題である「海辺のカメラノート」という暇に任せた写真実験について記してみたいと思います。「実験」とくると、やはり大辻清司先生の「大辻清司実験室」(アサヒカメラ連載・1975)を思い出しますが、まさにあれを強く意識していることを最初に断っておきます。

私は実際に大辻先生に習ったことはありませんが、文章はよく読んできました。

 さて、冒頭の説明のように長くこの地にいる私ですが、今、一体何を撮るべきかということがちょっとわからなくなりかけています。「テーマ」ということではありません。タイトルも昔からの「 NEWCOAST」でよいわけで、これまでのように臨海公園で出会った人や風景を素朴に連ねていけばよいことはわかります。しかし、時折、なにかちょっと「挑戦」(実験というべきでしょうが)してみたくなるのです。これは当然のことで、「写真」は「表現」であるとされていますから、「写真を撮って何かを表現したい」、あるいは「写真の上に何かを表現したい」と思うわけです。そしてこれまでと同じように表すのではなく、ちょっと新しい表し方を試してみたいと思うのが、まぁ人間の普通の欲望、いや「創作欲」のようなもので、私はちょうどそういう時期にまた入ってしまったということができます。


 撮りたいものを撮ればいいだけだが


 しかし、気持ちはそうであっても、実際カメラを持って出かけても、何を撮るかということは漠然としています。これが依頼されたような写真撮影の仕事であれば、そのとうりの、あるいはそれに近い被写体や風景を撮ればいいわけです。それは簡単というわけではありませんが、とりあえずカメラを向けねばならない対象がそこにほぼ備わっているということになります。
 それでは私の場合はどうでしようか。何かを撮らねばならないという約束なり方向はまずありませんから、制約のないまま、撮りたいと思う被写体を探したり、カメラを形だけでも構えてみたりということをしながら撮影という出来事に臨みます。これらはカメラ機材はその都度異なることもありますが、これまで何度も実践してきた「行い」のひとつで、歩きながら、あるいは自転車を停めて自然に進めていけます。公園などではなく、「浅草」や「砂町」の街の中でも同じことです。しかし、ここで小さな問題を抱えてしまうことになります。

 「撮りたいものがない」。昔、大学の最初の授業でキャンパス内を新入生と歩いて撮影する実習を行うと、決まって一人二人がそれに近いことを言ってきたものです。「なにを撮ればいいのでしょうか?」。そして決まって私がいうことは「撮りたいものを撮ればいいでしょう」でした。しかしよく考えると「撮りたいものがない」と訴えていたかもしれないのに、ちょっと安直な答えでした。正確には「なんでも撮っていいですよ!」と答えるべきだったのでしょう。その時の「課題」は、とりあえず「学内でシャッターを押す」という単純なものでした。こちらは特別すごい写真を期待しているわけでもなく、「写真を撮ったという経験」を個人の中に作ってほしかったわけです。しかし、その目標である被写体を「探す」という当たり前のことについて、私は学生の立場でしっかり考えていなかったようで、多くのみなさんを困らせてしまったかもしれません。「課題説明」はよりわかりやすくするべきなのです。

そこで「課題」を設定してみた

 そうした反省に基づき、葛西臨海公園で、「今、何を撮るべきかわからなくなっている」自分に対して、自分で課題を設定してみようと思いつきました。先生と生徒を兼ねるようなものです。
 
 葛西臨海公園は人工渚も含めるととても広いエリアです。これまではいつも隅々まで歩きながら、風景や人やモノを撮ってきています。しかし、今回は「ごく限られた場所で撮ってみる」ということひとつの課題にしてみました。「ほぼ肉眼で見えている近間の範囲で写真を何枚か撮ってみる」というもの。時間を設定することもなく、カラーでもモノクロでも、その時に持っているカメラで撮ってみる。さらに撮った写真を見て、「私は何写そうとしていたのか」、「それはどうだったのか」、「どうすべきだったのか」などをちょっと考えてみる。本来はそれを後からプリントを見ながら行いたいのですが、今回は大学の授業でもないので、とりあえずモニター上としました。さてどうなることやら。

小名木川あたりが私の生まれた町。1987年頃から臨海公園あたりに暮らしています。

 

遠くに見えているのは浦安市の舞浜ですが、とりあえずこの波打ち際あたりで撮るというのが課題です。


 2  写真家ならではの「欠点」かもしれない につつづく


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大西みつぐ / 写真家
古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。