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写真展「町の灯りを恋ふる頃」に寄せて

ジェットコースターに乗る人々」

ずいぶん昔のことだが、須田一政さんがご自分の個展で「70年代の東京の人の顔が懐かしい。今の人の顔と違いますね」と呟いたのを聞いたことがある。今とはその時点の確か90年代のある日だった。それからさらに20年後。WHOが「コロナ緊急事態宣言終了」した「今」。須田さんが呟いた頃よりもさらに東京の人々の顔つきは変わっているのではないか。マスクを取り外した後ならなおさらかもしれない。

 1969年に浅草花やしきで撮った写真。日本一古いジェットコースターは今も健在で、その正味1分ほどで終わってしまうコースもほとんど変わっていない花やしき名物。このジェットコースターをしっかり写真に撮る場所はコースに沿ったある場所ぐらいしかなく、高校生の私はミノルタSR-1にコムラー135mmの望遠レンズをつけて意気揚々と撮っていたはず。

 写真の出来はさておいて、縦位置に収まった何人かの人々の顔に注目してしまう。一番先頭に中年の「アベック」が乗っている。ひょっとしたら東京に新婚旅行に来た二人かもしれない。背広姿と女性の大きめのペンダント。初々しくもかわいらしい。実はそれほどの年齢ではないのかも。その後ろは若い二人。そのまた後ろに若い女性が二人。右側の女性はとても前を向いていられない状態。隣の女の子も目をつぶってしまった。二人ともふわっとした髪が余計に膨らんでいる。

 私はどうもこの左側の女の子に見覚えがあるとずっと思っていたのだが、果たしてそれは私の妻の若い頃の顔と瓜二つだったのだ。なんとなく、時代の記憶に個人の体験が自然に入り込んでいく。そうした普遍性が一枚の写真に固有のものとして存在しているという事実。先頭の二人も、実は当時の浅草、上野など観光地でいつも私がすれ違っていた顔のひとつだったのだろう。あるいは、父の郷里から新幹線を乗り継ぎ「東京駅」に到着した親戚のおじさん、おばさんでもあるのだろう。

 こうした人々の屈託のないのない笑顔に隠れてしまっているが、時代は70年安保。新宿西口の「フォーク集会」、日比谷野音の「全国全共闘連合結成大会」、佐藤栄作訪米阻止など街は騒然としながらもGNP世界第2位という時代。いざなぎ景気。翌年に大阪万博、赤軍ハイジャック、三島事件なども控えていた。しかし、そうした世相と切り離したところの庶民の日常は、案外鷹揚に構えた毎日であったような記憶がある。 

 少なくともこのジェットコースターに乗り合わせた10人ほどの顔つきは穏やかであり、幸せそうだ。浅草寺にお参りにきて、大黒屋で天丼などを食べた後、花やしきで楽しんでいる。ジェットコースターに乗っているからこんな顔つきであるとは、どうも私には思えないのだ。屈託なく笑えてしまうほどのあまり縛りのない時代の空気が浅草にも、これらの人々が住んでいる団地にも、学校にも、勤め先の工場や役場にもあったのではないか。

 人に自分の顔を自然に見せることの明快さを私たちは普通に感じていた。顔を作らねばならない局面もあっただろうが、少なくとも、スマホを見ながら歩くこともなければ、電車の中で立っている人も俯いたままそれを操作するということもなかった。いつからか、私たちは表情を読み取れないようにわざわざ防護するまでもなく、生身の顔を晒すことを「省略」してしまった。そのほうが楽だし、「個人」(個人情報)を大事にしたいから。 さらにコロナ禍は顔の半分をずっと省略させなければならなくなった。コロナ禍に何度も会って話をしている人に、最近マスクを外して会うとすぐにはわからないという事態も今起きている。決してマスクのせいにするわけではなく、この「省略」という気運は様々に伝搬していくのではないかと危惧している。良い方向に行くと楽観的に考えねばならないのだが、さまざまな局面でこれが横行し、社会、政治経済にまで関わるようなことになってしまうとすれば大いに困る。

 1969年。浅草花やしきでジェットコースターに乗る人々の心の底から楽しげな顔つきを、私たちは目にしっかり焼き付けておかなければならない。 

(モノクロ作品 8×10  約25点)

2023年5月17日(水)~6月3日(土)
15時~21時 日・月・火 休廊
入場無料
最終日6月3日(土)は18時閉廊

5月20日(土)  17時~18時
「路上の身振り、写真家の矜持」
雑誌「写真」編集長・村上仁一さんとの緩い対談part2。
500円

Kiyoyuki Kuwabara AG
千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビル405

www.kkag.jp   03-3862-1780


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大西みつぐ / 写真家
古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。