知性の高さと、状況の把握、予測能力に相関はない。
めちゃイケのテスト企画は面白かった。実際の学校であんな風に、誰かの珍回答をみんなで笑ったら、大問題になる。それなのに、みんなの前で、走らされる体育、歌わされる音楽、掲示板に張り出される書道に美術、。なぜ許されるのか分からない。嫌いなものは、学校できらいになった。
私は、"芸術的な何か"が苦手。受けとる人によって変化してしまうものが苦手。明確に、確実に、伝えたいことが伝わるものが好き。それを創造した人の、意思の力が伝わるから。知識と経験、感受性と感性、観察力と考察、美しい表現と正しい文法、すべてが共存する文章が好き。
本当の強さとは、自分がコントロールできることだけに集中できること。他人の行動、感情、評価、自分がコントロールできないものに惑わされない。雑音と靄の中を、雑念を振り払い、自分の正しいと信じる方向にまっすぐ進む。結果にすら惑わされない。しかし、これがなかなか難しい。本当に難しい。
答えのないことについて、戦うのは馬鹿馬鹿しい。「私はこう思う、あなたはこう思う、そして、どちらも正しい」でよい。言葉のやり取りを、戦いとしかとらえられない人は、悲しい。何かを決めなければならない時だけ、どちらかにするか、理論的かつ理性的に、話しをすればよい。
傷は、もとと同じには戻らない。治ったように見えても、傷を埋める細胞は、前と同じではない。そして、心筋細胞は分裂できないから、心臓の傷は、決してもとと同じには治らない。心の傷も、もとと同じには治らない。だから、本当は、一度だって相手の心を傷つけたくはない。
どんなに気を付けていても知らないうちに人を傷つけていることはある。吐いた言葉はなかったことにできない。自分の当たり前を相手の当たり前と思わない。自分の受け取り方と相手の受け止め方が同じだと思わない。DNAの塩基配列も育った環境も人によって違う。そんな当たり前と思いやりを忘れない。
「言葉とは、人と人とがお互いを理解しあうために、長い年月のなかで培われたもの」私の師匠の師匠の本に、私の師匠の師匠の師匠の言葉としてかかれている内容。言葉を大事にできない人は、人を大事にできない。
「言葉はいわば、尽きることのない魔法」(ダンブルドア先生 inハリー・ポッター) 私の好きな台詞です。言葉ひとつで、相手を元気づけることも、傷つけることもできる。具体性を持たない非難は後者、具体的な批評は前者。そして、言葉を大事にできない人の文章では、何も伝わらない。
一人の人間が一生をかけて理解できるのは、無限に広がる砂漠の中の、一粒の砂にも満たない。学問に触れたことのある人なら分かってもらえるだろうか。一生をかけても解決できない問題は無限にあり、そして、今も増え続けている。だからこそ、なにかを「理解した」何て、だ軽々しく言えない。