深夜にツレとドンキ顔が歌う「ドンキホーテにもヴィレッジヴァンガードにも俺たちの居場所はなかった」


「ドンキホーテにもヴィレッジヴァンガードにも俺たちのドンキホーテにもヴィレッジヴァンガードにも居場所はなかった」
これは、Bling-Bang-Bang-Bornでお馴染みのCreepy Nutsの「どっち」という歌の歌詞だCreepy NutsのR-指定さん(歌詞を作って歌っている方)は、夜中にツレとドンキ顔にしか見えない。だから私はまさかR-指定さんがドンキホーテに居場所がないなんて思ってもいなかった。

「どっち」の歌詞はこちらから。


歌はこちらから。
https://www.youtube.com/watch?v=zJDUFIVRsJw

歌詞は、
ドンキホーテ派とヴィレッジヴァンガード派への偏見とどちらにも入れなかった俺たちが第3の居場所になるという内容だ。
「居場所づくり」が叫ばれる昨今、この歌では居場所がなかった自分を未来の自分が肯定し、居場所を無理やり作る必要なんてない、と言っている。ある意味、時代錯誤である。
それでも、自分たちが居場所になろうとしてくれているのだ。
居場所は、提供する側が歓迎ムードでも利用する側が居心地が悪いと思ったらそれはもう居場所ではなくなってしまう。
そしてCreepy Nutsが提供する居場所が歌であり、ライブである。
よくある歌詞の「君のために歌う」の最高峰ではないだろうか。


私はCreepy Nutsと同年代であるが、ドンキホーテやヴィレッジヴァンガードに居場所がなくても別にいいじゃんと思う人が増えてくることを危惧し、この記事を書くことにした。

Creepy Nutsの音楽はHIPHOPに分類される。私はHIPHOPのヒの字も知らず、HIPHOP=育ちが悪い=ドンキというものすごい偏見を持っていた。つまりこの歌を歌うR-指定さんもドンキホーテ側の人間だと思っていた。もちろん見た目も含めて。

今でこそドンキホーテ(以下ドンキ)は誰でも入りやすいお店で、オリジナルブランドもある。テレビでも特集されて、外国人観光客も多い。

しかしひと昔前、ドンキは見取り図の南大阪のカスカップルみたいなジャージが正装の人御用達のお店だった。店内も汚いし、客層も悪いので初めてドンキに入ったとき、緊張した。

一方、ヴィレッジヴァンガード(以下ヴィレヴァン)はアンチドンキを客層にしていた。
語呂が良いからアンチドンキと書いたが、より正確に書くとドンキの客層とは交わりたくない人たちがヴィレッジヴァンガードに通っていた。特定の人に刺さる商品が数多く売られていた。

ドンキは陽、ヴィレヴァンは陰。
でも、ヴィレヴァンもドンキも薄暗く、ところ狭しと商品が並び、一見さんが入りにくい店という面では共通していた。今はどちらも入りやすく、商品も整列されている。

私はヴィレヴァンが好きだった。ヴィレヴァンに行くのがご褒美だった。高校生の私は、ヴィレヴァンに入ると、大人の気分を味わえた。立ち読みしたり、個性の強いポップを読むのを楽しんで何も買わずに帰った。気に入ったものは買っていたが、何も買わなくても許されていると思っていた。

ヴィレヴァン巡りもした。
私にとってヴィレヴァンは居場所だったし、ドンキは居場所ではなく、お目当てのものをさっさと買って立ち去りたい場所だった。


ドンキ組はEXILEなどみんなで大音量で聴くのが気持ちいい曲を聴いていた。
一方、ヴィレヴァン組はサブカル音楽を聴いていた。

学校のクラスはドンキ派かヴィレヴァン派に分類される。つまりは陽キャはドンキ、陰キャはヴィレヴァンだった。
学校はこの陽キャと陰キャに分けられてきた。
陰キャも陽キャも、どちらかのための音楽であったり、居場所はあった。

私にとってそれは当たり前の感覚だった。
この曲のタイトル通り、陽か陰の「どっち?」だった。

それが覆されたのが、「どっち」だった。「ドンキホーテにもヴィレッジヴァンガードにも俺たちの居場所がなかった」という歌詞の俺たちが松永さんを指すのか聴いている人を指すのか私は知らないけど、すごく衝撃的だった。

陽と隠以外にも人はいたのだ。

自分の居場所となるコミュニティがないことを曲にし、陽キャにも陰キャにもなれなかった人、そんな人を表す言葉や概念もない中で、ドンキもヴィレヴァンもそれ以外も全部を受け入れてくれる曲を作ってくれた。


しかも「ドンキホーテにもヴィレッジヴァンガードにも俺たちの居場所がなかった」の後に、「それでよかった」って。居場所がなくてよかった、と歌う歌詞がこれまでにあっただろうか。

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