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「生き切る」ということ ~延命治療について考える~
20年以上にわたり手術室で勤務し、現在は退院支援室で患者さんとご家族と関わっている看護師として、私は数えきれないほどの「生」の物語に立ち会ってきました。忘れられないのは、お正月のoncoll(呼び出しの緊急手術)で、100歳をとっくに超えられた患者さんの手術に携わった経験です。周囲からは「超高齢なのだが手術の対象だろうか、麻酔に耐えられるだろうか…」という声も当然ありましたが、検査の結果、手術によって改善が見込める状態でした。ご本人は、家族もいらっしゃらない方でしたが、「改善のみこみのある治療は受ける」という意思を、身元保証人の方に提示しており、文章にされたものをお持ちでした。何よりご本人は、懸命に生きようとされていました。手術は無事成功し、リハビリを経て、その方は見事に歩けるようになり、自宅へと退院されたのです。その方の背中を見送りながら、私は「人は、何歳になっても、生きることを諦めない限り、輝けるのだ」と強く感じました。
しかし、その一方で、私は言葉にできないほどの苦しみを抱えながら、ただ「生かされている」状態の患者さんを数多く見てきました。意識がなく、自力で呼吸も食事もできない。ただ医療機器につながれ、痛みや苦痛に耐えながら、生命維持装置の中で時を刻む。それが、本当にその人らしい「生」なのだろうか。100歳を超えても輝きを取り戻す方がいる一方で、そうではない現実も存在する。その不条理さについて、今日は皆様と、率直に語りたいと思います。
医療者として、心から願うこと
「どんな形でもいいから、生きていて欲しい」—手術室の前で、病室で、ご家族の皆様から幾度となく聞かされる、それは切実な叫びのようなお言葉です。大切な方の命を、一秒でも長く繋ぎとめたいという、その計り知れないほどの深い愛情に、私はいつも胸を打たれます。
しかし、長年医療の現場で、患者さんの「生」と「死」を見つめてきた経験から、私は延命治療について、深く考えるようになりました。人工呼吸器や様々な医療機器によって、辛うじて生命を維持することが、本当にその方の幸せに繋がるのだろうか…? むしろ、その方が残されたかけがえのない時間を、穏やかに、その人らしく、尊厳を持って過ごしていただくことこそが、何よりも大切なのではないだろうか…。
延命治療がもたらす現実
延命治療には、決して目を背けることのできない、以下のような側面があることを、心を痛めながらお伝えしなければなりません。
計り知れない体への負担:高齢者や体力の衰えた方にとって、延命治療は想像を絶する苦痛を伴うことがあります。
痛みや不快感:医療機器による不快感や、病気そのものによる痛みなど、様々な苦痛を伴うことが多いのが現実です。
自由の制限:意識がある場合でも、自由な動きが大きく制限され、精神的な苦痛を感じることがあります。
食事の制限:口から食事をとることが難しくなり、食事が持つ喜びや楽しみを奪ってしまうことがあります。
コミュニケーションの困難:ご家族や大切な人との、温かく、自然なコミュニケーションが難しくなってしまうことがあります。
これらは、その方の「生きる質」を大きく損ない、かけがえのない時間を奪ってしまう可能性があるのです。
「生き切る」ということ
「生きる」とは、単に心臓が動き、呼吸をしている状態を維持することではありません。それは、その方らしい笑顔を見せること、大好きな食べ物を一口味わうこと、愛する人の手の温もりを感じること…。そういった、何気ない日常の中にこそ、真実の「生」が宿っているのではないでしょうか。
延命治療によって、これらの「生きる喜び」の多くが失われてしまうとしたら…それは、本当にその方が心から望む姿なのでしょうか? 私たちは、もう一度、深く自問自答する必要があります。
大切なご家族の皆様へ
「できる限りの治療を受けさせてあげたい」「一日でも、一時間でも、長く一緒にいたい」
そのお気持ち、痛いほど理解できます。なぜなら、私自身も、わずか一年の間に両親を相次いで見送ったからです。失った人は、もう二度と戻ってこない。その現実を、今も心の奥底でひしひしと感じています。共に過ごすはずだった時間が永遠に失われてしまった悲しみ、そして、もっと丁寧に、もっと大切に、その時間を過ごせなかった後悔が、まるで深い海の底から湧き上がってくるように、私を蝕む瞬間があります。だからこそ、皆様の「少しでも長く…」という切なる願いが、痛いほどわかるのです。しかし、だからこそ、あえて申し上げさせていただきたいのです。延命治療を選択しないということは、決して大切な方を見捨てることではありません。むしろ、その方の尊厳を守り、残された時間を、苦しみから解放し、穏やかに過ごしていただくための、深い愛情に基づいた、勇気ある選択となりうるのです。
延命治療に代わる、希望に満ちた選択肢
延命治療の代わりに、以下のような、その方の人生を輝かせる選択肢を考えていただければと願っています。
緩和ケアによる苦痛からの解放: 専門的な知識と技術で、痛みや苦しみを和らげ、穏やかな時間を過ごせるようにサポートします。
大切な時間を紡ぐ療養環境: ご家族や親しい人たちとの心の触れ合いを大切にし、温かく、穏やかな療養環境を整えます。
心と心をつなぐコミュニケーション: 可能な限り自然な形で、言葉だけでなく、表情や触れ合いを通して、心と心をつなぐコミュニケーションを大切にします。
その人らしさを尊重する療養場所: 病院だけでなく、住み慣れた家や、思い出の場所で、その方らしい最期を迎えられるようサポートします。
五感を満たす快適さ: 心地よい音楽や、懐かしい香り、温かい触れ合いなど、五感を満たすことで、心身ともにリラックスできる時間を提供します。
医療者として、私たちは常に寄り添います
私たち医療者は、どのような選択をされても、その選択を心から尊重し、寄り添い、最善の医療とケアを提供することをお約束いたします。特に、以下の点に全力を注ぎます。
真実を伝えること: 現在の状態や、これから起こりうる可能性のある経過について、ご家族に寄り添いながら、正直で丁寧に説明します。
選択肢を提示すること: 延命治療だけでなく、様々な選択肢とそのメリット・デメリットを、分かりやすく提示します。
苦痛を和らげること: 緩和ケアチームと連携し、痛みや苦しみを最大限に和らげ、安らかな時間を提供します。
心を支えること: ご家族の心のケアを大切にし、専門家によるカウンセリングや精神的なサポートを提供します。
在宅への移行を支えること: 在宅療養を希望される場合、必要な医療機器や介護サービスの手配、訪問看護の紹介など、スムーズな移行を支援します。
おわりに - 共に歩む未来へ
「生き切る」ということは、その方らしい最期を、尊厳を持って迎えることができるよう、私たち医療者が全力で支援することだと信じています。それは時として、延命治療を控えるという、苦渋の選択に繋がるかもしれません。
しかし、それは決して消極的な選択ではありません。むしろ、その方の尊厳を守り、残された時間を、苦しみから解放し、より意味のあるものとするための、積極的で、勇気ある選択なのです。
私たちは、皆様のどのような選択も、心から尊重いたします。ただ、延命治療について考える際には、「ただ生きている」ことと「その人らしく生き切る」ことの違いについて、どうか、ゆっくりと、そして深く考えていただければと願っています。
そして、今、この困難な決断に向き合っておられるご家族の皆様に、心からの敬意と、深い共感の念を表したいと思います。人はみな、光の世界に向かって歩んでいるのだと思います。