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ミュートして
【生首製作所】なるものを知ったのは、私が二股彼氏と泥沼愛憎劇を繰り広げた帰り道のことだった。何股かけられていようと本命が自分なら許すこともできたが、主役はどうやらあちら側で、私は横恋慕を仕掛けた悪役であるらしい。
冗談じゃない。そう憤りながら歩いていた繁華街の路地裏、雑居ビルのポストのひとつにその名前を見付けて、なんだろうとしばし首を捻っていたが、ここに来るまでにしこたま飲んでいたこともあって、考えるより先に階段を上っていた。
古い鉄筋コンクリートのビル。ポストに示されていた階にはいくつか扉があったが、どれも店舗の体は成しておらず、アパートの一フロアといった趣である。だが、その中にあって【生首】の、しかも【製作所】という表札は異様であった。
それでも、正直いわゆる自暴自棄状態の私にとって、そこに足を踏み入れるのはそう難しいことではなかった。
「いらっしゃいませ。」
錆びた鉄の扉を開いた先にいたのはどこにでもいそうな普通の女性。何の変哲もない真人間というものがいるならこうであろうというような。けれども特徴がなさすぎて説明ができない。会っている時はこうだったと思えるのだが、目の前にいなければ思い出すのが難しい。未だに、思い出せない。
とにもかくにもそのビルで、私は何らかの会話をし、何らかの取引をして、欲しいものを手に入れたのである。
愛しい彼の、生首を。
「なんだこれは……!どうなってる!?なんでお前が……」
ローテーブルの上で目覚めた彼はパニックに陥っているようだ。それはそうだろう。見慣れない部屋、通常より低い視界、動かない身体。否、
「身体は無いよ。生首製作所の人にあげちゃったから。でもいいじゃない。」だって「私、あなたの顔が好きなんだもの。」
あなただってその顔を武器にしてたでしょ?それで人気配信者になってリスナーにちょっかい出しまくって。挙げ句、二股かけて泥沼の果てに身動きが取れなくなった。文字通り、『手』も『足』も出ない状態。
とはいえ、まだ自分の現状を把握しきれていない彼のために、メイク用の大きな鏡を持ってきて目の前に立ててあげる。すると、断末魔の叫びのような、それでいて声にならない声をあげて悶え苦しみはじめた。涙と鼻水だらけのぐしゃぐしゃの顔は、それらを拭う手を持たない。昏倒しようにも身体が無いのだからどうしようもない。まごうことなき生きた『生首』である。
そんな彼がなす術なく泣き続けているのを見て、さすがに段々と可哀想になってきた。そうだ、いいことをおしえてあげよう。
「ねぇ、ここを見て。」
首の下の箱を示す。頭蓋の直径よりひと周りほど大きな黒い直方体。首の付け根の部分と不思議に癒着している。
「これね、生命維持装置なんだって。これで食べたり飲んだりしなくても半永久的に生きられるらしいよ。すごい技術だよね。」
どういう仕組みかは知らないが人知を超えた代物である。といっても、それが彼の気分を上昇させるとはさすがに思っていない。見せたかったのはそちらではなく、その装置の正面に付属している配電ブレーカーを思わせるようなスイッチだ。
「これはね、『快楽』のスイッチなの。身体が無いとそういうの感じにくくなるでしょ?だからオプションで付いているんだって。快楽の種類はランダムらしいけれど。」
楽しいとか満腹だとか気持ちいいだとか、感じる身体の代わりに、脳に直接信号を送るらしい。説明した女性の顔は思い出せないが、その内容は鮮明に覚えている。
「だからね、首から下なんか無くたって大丈夫だよ。望めば私がいつでもそのスイッチを……」
「 ふ ざ け る な !!! 」
耳をつんざく怒号が部屋中に響き渡る。頭部だけでもこんな大声を出せるのね、などと感心していると、さらなる声量で怒鳴り散らしてきた。
「何が大丈夫だ!!身体を……身体を失くして!こんなっ、何もできずに……!お前みたいなクソ女に抵抗もできないなんて!マジでふざけんなよっ……」
普段の配信では絶対口にしないような汚い言葉を吐き出す。いつもの甘い口調はどこへ行ったのだろう。そんなんじゃもう誰もたぶらかせない。
それに、
「クソ女なんてひどい言いよう。これでも私、優しい選択をしたんだよ。」
スイッチにはもうひとつの選択肢があった。私が受けた屈辱を考えれば、他方を選ぶ方が最適に思われたが。
「『苦痛を与えるスイッチ』ってのもあったの。頭だけじゃひっぱたくぐらいしかできないからね。そんなんじゃ私の気持ちは晴れない。」
あらゆる苦痛を与えられるというそのスイッチを弾けば、少しはスカッとできただろうし、この汚い口を即座に閉じることもできただろう。
それなのに私はあえて快楽の方を選んだのだ。感謝されこそすれ、クソ女呼ばわりされる筋合いはない。
「罵る暇があったら反省すれば?散々ひとの気持ちを弄んだ自分の罪を。私がどれだけあなたに尽くしたかわかってる?」
それこそ全身全霊で支えてきた。持てるもの全てを捧げた。利用されているかもしれないとわかっていながら借金までして。それなのに、
「あなたは私を裏切った。他の女を選んだ。どこの馬の骨かもわからない見た目だけのあの女を!」
あの女はこのひとのことを何もわかっていない。尽くした記録もない。有名人になってからすり寄ってきたただのハイエナだ。初期の、片手で数えられるくらいしかリスナーがいなかった頃のことなど知りもしない。
「でもね、私はわかってるよ。あなたは騙されただけだって。」
読者モデルだかなんだか知らないが、綺麗な女に言い寄られれば心が揺れても仕方がない。軽はずみな発言で炎上したこともある彼の愚かさは、私がいちばんよく知ってる。
「私はあなたを救ってあげたの。首だけになれば衝動的に馬鹿な行動をすることもできない。変な女に騙されることもない。これからは私が守ってあげる。何もかも私が判断してあげる。いい子にしてれば快楽だって与えてあげるよ?だからね、」
頭をなでながら言い聞かせるように紡ぐ言葉の途中、空気の読めない彼はまたしても声を張り上げて遮ってきた。
「いいかげんにしろ!!イカれてるにも程があるだろ!ヤバいやつだとわかってたはいたけど、ここまでだなんて……!ああ……ああっ!頼むから、頼むから!消えてくれよ……消えろよ●●●!!●●●●!!!」
最後の方は聞くに堪えない言葉を叫んで、それからブツブツと呪いのように「●ね……●ね……」と繰り返す有り様。
どうしてコイツは自分の行いを省みることができないのだろう。悪いことを悪いと認めて、謝罪の気持ちを吐き出すことができないのだろう。私の中で一度は沈んでいた怒りの感情がふつふつと沸き上がってきて、もう最後の手段に出るしかないと決意させた。
おもむろに彼を持ち上げ立ち上がると、驚きと怖れに歪んだ瞳がこちらを見上げてくる。
「なんだ!?何をするつもりだ……!お、下ろせ!下ろせよ!!」
子供のように泣き喚く彼を抱えて地下への階段を降りる。たどり着いた部屋のドアを開くと、特徴のある黒い無数の突起がこちらに照準を向けるように立ち並んでいた。
「防音パネル……?」
部屋の六面に隙間なく張り巡らされているそれは、彼にとってなじみ深いものだったのだろう。自宅を配信施設にするためには必要不可欠なものだ。だが、この部屋にあるのはそれだけで、機材も家具も持ち込んではいない。それどころか最低限の照明もなく窓もないため、廊下から差し込む古い蛍光灯の明かりだけが唯一の光源になっていた。
「なんだよコレ?俺のこの惨めな姿をライブ配信でもするつもりか?ほんと狂ってんな。」
泣いているのか笑っているのかわからない声で彼が言う。けれど、そんなことはしない。もう彼を不特定多数の人間に晒してバカな女を釣るような真似はしたくない。
「配信なんてしない。防音は中の音を遮断するためのものではないから。」
「は?だったらなんで……」
疑問符を受けとめて彼の首を部屋の真ん中に置く。欲しい答えはすぐに与えてあげる。
「さっき話したでしょ?快楽のスイッチと苦痛のスイッチについて。あれね、当初は苦痛のスイッチを選ぼうと思っていたの。」
生首製作所の女の人はスイッチの説明を丁寧にしてくれた。その中で語られた苦痛の詳細はとても魅力的で、私の受けた屈辱を晴らすにはちょうどよいもののように思えた。
「だけど……足りないの。私を暗闇の底に叩き落としたあなたを苦しめるには、ちっとも!」
語気を強めると彼は一段と怯えた表情になった。そのくせ半笑いで問いかけてくる。
「それで?この防音部屋で首だけの俺をリンチでもしようってのか?」
半ば投げやりに言っているようだが、その推測は私の思惑にかすりもしていない。頭部に痛みを与えるだけならスイッチの方がよほど性能が上だ。脳の回路に直接働きかけるから、存在しないはずの四肢や胴体、内臓などへの苦痛を正確に再現することができる。けれど、
「そんなことはしない。スイッチも必要ない。私、気付いたの。あなたがくれた真っ暗闇のおかけでひらめいたのよ!」
スイッチで再現できるのは痛覚など身体が感じる刺激のみ。精神的苦痛は制御できない。首だけで生かすという高度なテクノロジーも、人の心に作用することはできないのだ。
「結局、人間の心を壊せるのは人間だけってこと。とはいえ、そう難しいことじゃない。スイッチを押す作業すら必要ない。私は何も……」
「 『何もしない。』 」
そう言い放つと、何かを悟ったのか目を見開く彼。口をパクパクさせて言葉を紡ごうとするが、声を出すことすらままならないようだ。
「二、三日……一週間、あるいは一年。わからないけれど、気が向いたらね。」
すがるような彼の瞳。を、尻目に、踵を返して歩きだす。最後何かを訴える声が聞こえた気がしたが、ミュートしていたのでわからない。
ガチャン。
ドアを閉めるその冷たい金属音が、彼の耳に届いた最後の音となった。
* * *
雑居ビルの一室。錆びた扉の先には、どこにでもいるがどこにもいないような普通の女が座っている。その目線の先で煌々と光るテレビの液晶に映し出されているのは、夕方のワイドショーだ。この手の番組はここ数日、同じ話題で盛り上がっている。
人気配信者の恋人が惨殺され、リスナーの女が逮捕された。容疑者はいわゆる投げ銭で多額のお金を投資していたようだが、配信者の男と交際関係にあったのかはわかっていない。
男の方は未だ行方不明である。