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ひとりぼっちの星

 天然の星はいいぞ。獏に乗って網で掬うんだ。

流星旅団だった祖父の口癖は耳にタコだが、天然の星など見たことのない僕の脳内では、空想の光が煌めいている。
人工星は霧の向こうの灯のように曇っている。が、満月の光を吸収して降ってくるそのレプリカだけが、今の世界では星と呼ばれている。

 満月の翌日、子供たちは星採りの手伝いをする。僕らの学校は海岸線の担当だ。
転校生が流木に座ってさぼっていたので、僕は拾った星の中から珍しい青色のを差し出して言った。
「こういうの、褒められるよ」
すると彼は炎を帯びたような瞳で僕の手を振り払った。青い星は海に逃げてしまった。

「お前らが星と呼んでいるものはただの屑だ!」

 転校生は言った。
蝉が鳴き始めたというのにまだ長袖を着ている変わり者。だと思っていたけど。
肩を怒らせたからか、袖口からちらりと覗いた手首。関節には繋ぎ目のようなものが見えた。祖父から聞いた恒星動力式人形のことが頭に浮かんでいた。

 【恒星動力式人形】

天然星が豊富に採れた時代でも貴重だった、恒星を動力源とする球体関節人形。今は博物館以外で目にすることはない。家庭用工業用軍事用と様々な種類があるが、誰も知らない特別な役割を持つものもいたという。彼もそうなのだろうか。
 そもそも僕は、彼が転校生であるということしか知らない。名前も、いつ転校してきたのかも。
「書き留めて焼き付けるから教えてくれないか」と言ったら、彼は嘲笑した。
「書いた紙を燃やせば文字通り脳に焼き付くって?そんなこと本気で信じてるのか?」
 先生の板書きを紙に写して終業時間になったら燃やす。文字通り記憶を焼き付けるために。それは当たり前のことで、入学時最初に取り組むことが、燃焼のためのガラス皿造りだ。自分専用の美しい器の中で、灰になって消えていく記憶を幾つも見てきた。

 消えていく?

自分の言葉にはっとする。
「この世界の記憶は曖昧だ。そういうふうに仕組まれているんだよ。だから俺が、」
 そこまで言うと転校生は黙りこんだ。それからひとつ大きく息をついて、
「この先を聞く勇気があるなら、夜またここに来い。」
そう言って立ち上がると、適当な星をいくつか拾い上げて行ってしまった。


 ***


「来たのか。」
 意外そうな顔で転校生が言う。
星が落ちきって真っ暗な夜空。手の届かぬ海の底で、残り物が淡く光る。
「記憶が曖昧だからか」僕は「君の名前すら知らなくて」でも「知りたいと思った。」
すると彼は驚いたように目をみはり、その瞳の輝きに、見たこともない天然星を思う。

「全ての記憶を担う人形」

 ぽつりと。彼が言う。
「人類から悲しい記憶を奪って封じるために、ある人が作ったんだ。あれと一緒に。」
 指差した先には、仄暗く月が燃えている。なぜか『燃えている』と思った。
謎を解くのは彼の言葉。
「俺の中には本物の恒星があって、月は、」

 月は人工恒星だ。

転校生の言葉は衝撃だったが、月が何かなんて考えたこともなかった僕にはピンと来なかった。
 彼が言うには、月はある博士が作った人工の熱源で、天候や昼夜までをも統べており、無ければ人類は生きられない。そして、
「月はもう少しで寿命を迎える。壊れて人間は滅ぶ。」

 人間が滅ぶ。

それも僕にはピンと来ない言葉だった。
 彼は続ける。
「人類滅亡なんてことになったらお前ら困るだろ?だから、俺は恒星を空に還さないと。」
そう言って胸に当てた左手。とても穏やかな手つきなのに、僕は思わず強く掴んでいた。「還す?還したら君はどうなるの?」
僕の荒ぶるような問いに転校生は答えなかった。でも、動力源を失った人形がどうなるかくらい、曖昧な記憶でもわかる。
「これじゃダメ?これだけあれば代わりになるだろ?」
そう言って差し出したのは昼間の採集でくすねた星々。足りなければまた盗んでもいい。転校生は首を振っていた。
「言っただろ、それはただの屑だって。」
静かに言うと、彼は地面を指差した。
「本当の星は今踏みしめてるこの大地だ。」

 地球。っていうんだよ。

 最後の言葉が耳の奥に響く。曖昧だったはずの記憶が目を覚ました気がした。
 僕らが星と呼んでいるものは星そのものではなく欠片のこと。かつて流星旅団が採集してきたのも、天然であるというだけで欠片に変わりはないという。
「星ってのはとても膨大で、その上に世界が成り立つほどだ。」そして「俺の中にはそれを圧縮したものが入ってる。その力で長く生きてきた。」
 この世界の記憶全てと圧縮した恒星。そんな大きな荷物をひとりで背負って生きてきた彼を思うと、僕は悲しくなった。

(…悲しみ。)

人類が忘れた悲しい記憶とはなんだろう?

「星間戦争。」

僕の疑問に答えるように、彼は海底から響くような低い声を落とした。

 【星間戦争】

 夜空にたくさんの『星』が存在していた頃、星と星の間で争いが起き、唯一勝ち残ったのがこの地球。
「それからずっと、地球はひとりぼっちなんだ。そんな悲しいこと、知らない方がいいだろ?」
と、言葉より悲しい顔で彼が言う。
「ひとりぼっちは君の方だろ。」
 思うより先に言葉が出ていた。
辛い記憶を抱えて、悲しみを吐き出すこともせず、長い時間をたったひとりで。そんな彼の横で曖昧に生きる僕らを、守る意味なんてあるだろうか。
「恒星は還さなくていい。短い残り時間を僕と生きよう。」
差しのべても受け取ってはくれなさそうだから、僕は強引に彼の手を取った。すると困ったように笑って、
「お前は人間の中でもよく物を覚えてる方だよな。じいさんのこととか。」
「え?」
祖父のことは言っていないはずだけど。
「前にも話したことがある。俺のこと忘れても、何度も。」
「そうだったんだ…ごめん。」
申し訳なくうなだれると、今度は笑みだけの顔で言った。
「特別に許してやるよ。最期まで一緒にいてくれるんだろ?」
 提案は受け入れられたらしい。
 本当はいけないことだけど、僕は今日のことを書き留めてポケットにしまった。


 ***


 夏が終わり秋が過ぎ去って冬が来た。
転校生は未だ月の寿命を教えてはくれなかったけど、ひとつだけわかったことがある
「俺の名前?そんなのないよ。でも、」と、少し考えて。「恒星の名前なら、」

 太陽。

タイヨウ。大きな響きの名前だな、と僕は思った。
 太陽だと少し長いので、一文字だけ取って「陽(ハル)」と名付けた。我ながらいい名前をつけたものだ。と、にんまりしていた顔に大玉の雪がピシャリ。遠くで陽が笑っていた。
 夏は海、秋は山、冬は雪原で。季節ごとの遊びを一緒にできることが、嬉しい。
「春になったら花見をしよう。」
僕が言うと、陽の顔が曇った。
「たぶんもう春は来ない。天候計画が狂ってる。」
 月が天候を制御していて、陽は月と繋がっていて。だから、彼が狂っていると言うのなら、そうなのだろう。
「月はもうすぐ死ぬ。」
「…そっか。」
 僕があまりにあっさり答えたので、陽は
「冷静だな。怖くないのか?」
怖くないと言えば嘘になる。でも
「覚悟してたし、僕は陽を看取らなきゃならない。」

ひとりぼっちにしないために。

「そっか。」
 今度は陽があっさり言う。そして、左手で僕の頬を撫でた。
「最期の時には、この左手を砕いてくれ。」
「左手?」
頬にふれたその手は驚くほど冷たかった。気温が低いからではない。
血の通わないその手を暖めるように覆って、僕は言った。
「なんで左手?」
「ここに恒星があるから。」
「左手に恒星が?なんでそんなところに?」
「なんでそんなところに、って場所にあった方が見付からないだろ。」
と、いたずらっ子のように笑う陽。それから、愛しいものに向けるような眼差しになって
「そう言ってたんだ。あの人が。」
あの人。とは、陽を作った博士のことだ。
 博士のことを話す時、陽はとても優しい表情になる。大切な人なんだなと思う。

(僕も君にとって大切な存在になれる?)

それは声には出さなかった。そのかわりに、「約束するよ。最期の時、僕が君を終わらせる。」


 ***


 何日も雪が降り止まない。陽の言う通り天候が狂っているのだろう。
最近は人工星を打ち上げることもなくなり、空には弱った月の仄明かりがあるだけで、昼と夜の区別もつかない。曖昧な僕らには相応しい世界だと思った。
 それでも僕と陽は一緒にいる。月が堕ちるその日まで。


 ***


 最期の日。僕と陽は真っ白な雪原の真ん中に座っていた。
雪は止み、清々しいほどの静寂。たくさんお喋りをして、たくさん笑って、それから黙って消えゆく月を見ていた。
 しばらくして陽が沈黙を破る。

「そろそろだな。」

流線を描くように優しい挙動で、陽が左手を差し出す。僕は祖父の工具箱から出してきたハンマーを握った。
「よく考えたらすごく野蛮な行為だね。」思わず笑うと、陽は
「人生の最後に相応しい鮮烈な行いだろ?」と茶化した。
それから真面目な顔になって
「最後にひとつだけ。…ひとつだけ言わせてくれ。」
 陽は僕をまっすぐに見て言った。その瞳はきっと、じいちゃんの網に掬われた星なんかよりずっと美しく、僕を絡めとって離さない。

「ありがとな。ーーー。」

 最後、名前を呼ばれた気がしたけど、僕はもうそれを思い出すことができなかった。
 ハンマーを打ち降ろすと、陽の左手はいとも簡単に砕け散った。彼が脆いのか恒星が脆いのか、どちらかはわからなかったけれど、とにかく悲しくて。目を閉じたら感情が瓦解して零れ落ち、彼の胸のあたりで光りだした気がした。
 いや、

(本当に光ってる?)

幻ではなく現実に光っていたのだ。

(なんでだろう、とても暖かい。)

 その光は、もう動かない陽の胸の上で球体を成していた。初めて見るのに懐かしい気がする色。
ふれようと手を伸ばすと、ものすごいスピードで空へと昇っていった。逆再生の彗星みたいに。
遠ざかれば小さくなっていくはずなのに、その光は離れれば離れるほど膨張しているように見えた。

「星ってのはとても膨大で」

陽の言葉を思い出す。あれが『星』で、彼の中にあったものならば、

「嘘つきだ、陽は。」

僕は君の恒星を砕くことができなかった。それは本当は胸の中にあって、僕が砕いた左手は

「スイッチだったんだ…」

恒星を解放し空に還すための。
月を失った人類を

(僕を、)

守るための。

 ずるいよ君は。
僕は確かに君にとって大切な存在になりたかった。だけど、それをこんな形で叶えるなんて。
「本当は僕は、大切に思ってくれてるって知ってた。だから僕も君を大切にしたかった。」
ひとりぼっちだった君のそばで、君が寂しくないように。なのに。
「またひとりにしてしまったね。」
その言葉は空っぽで横たわる陽に向かって言った。願わくば、心臓と魂が別であるように、恒星と君の魂が別でありますように。
 見上げると太陽が力強く輝いていて、長く続いた冬を終わらせようとしていた。


 ***


「と、いうわけで。少年は親友に守られた命を生きる決意をし、後に歴史学と天文学の分野で活躍するわけ。」
「へぇ。で、それ何の話?」
「試験範囲の話だよ。星間戦争から銀河の復活まで。」
「なるほど。」
 そう言いながら、我関せずと寝転がる僕の友人。名を陽希という。
「同じ陽の字が付くのに。」
僕の言葉に、「なんだよ」と不満を言いたそうな顔をしたが、何か思い付いたように急に立ち上がる。
「それよりさ、カラオケ行かね?」
そう言って左手を差し出す。手のひらには星形の痣があった。生まれつきらしい。
(それにしても、試験前にカラオケとは…)
 ため息をついてみたものの、どちらにせよ勉強はしないだろうから。
「海ならいいよ。」
 梅雨明け直後のこの時期、運が良ければ浜辺であるものが拾える。
「人工星の化石っすか?」
陽希はダルそうに言ったが「まぁいいけど。」と結局合意してくれた。


「すっかり夏だねぇ。」

 海岸までの道のり。日差しを遮るものが乏しく、ジリジリと肌が焼かれていくのがわかる。
「こんな日に星拾いとかダリぃよ。」
陽希の言うこともわかるが、
「たのむよ。どうしても欲しい色があって。」
今や人工星に価値などないけれど、青色の星に焦がれていた。

 星のコレクションにこだわる僕と、そんな僕に付き合ってくれる陽希。些細なやり取りだが、そんなことの積み重ねで思い出ができていく。

(かつての人類は記憶があやふやで、思い出もなかったんだよな。)

 そんなことをぼーっと考えていたら、陽希はだいぶ先に行ってしまった。

「おーい、ひなた!」

 名前を呼ばれてハッとする。
なんでかわからないけれど、僕はずっと昔から彼に名前を呼んで欲しかった気がする。

「ひなた、行くぞー」

もう一度呼ぶ声を聞いて、もう青色の星なんかどうでもよくなっていた。

(だって、)


 僕の星はもう見付かっているのだから。

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