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【ミトシャの植物採集】 第5話 コエンドロ
作:石川葉 絵:茅野カヤ
「はるばる、わたしをたずねてくださったの?」
そうミトシャに声をかけた植物は、なんだかとても不思議な匂いがします。清涼感のあるような、それでいて、どこか昆虫のような。
ミトシャは、その植物にうながされて椅子に腰掛けました。
ラトは、この匂いが嫌いだ、と思いました。
レトは、この匂いが苦手、と思いました。
セトは、この匂いがすうっとする香り、と思いました。
「なんのおもてなしもできないけれど、ゆっくりしていって」
不思議な匂いの植物はキッチンに向かいました。
ラトは
「早く写真を撮って外に出ようよ。変な匂い!」
と顔をしかめて言いました。
レトは、それを聞いてゆっくりとうなずいています。
セトはちょっと困った顔になりました。
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セトは、うん、とうなずくそぶりをして言いました。
「まあ、そうね。あんまりゆっくりするのも迷惑だろうし。でも、ちゃんと帰郷の意思は確認しなくちゃ」
そうセトが語るあいだに、甘い香りがやってくることにミトシャは気づきました。
「よかったら召し上がって。わたしの葉の香りや味は、好き嫌いがあるでしょうけれど、果実のデザートは大好きになる人が多いのよ」
そう言って、不思議な香りの植物はクッキーをテーブルに乗せました。
「わたしはこのクッキーをマナクッキーと呼んでいるわ。だって、モーセがエジプトから連れ出した人々の食べたマナという食物は姿がコエンドロの実に似ているのですって。味はパンに添える蜜のようですって」
なるほど、先ほどの甘い匂いはこのクッキーからただよってきます。
ミトシャはおそるおそるクッキーをいただきます。
「おいしい!」
不思議な匂いの植物はニコニコとミトシャを見つめています。
「わたしの名前はコエンドロ。コリアンダーと呼ばれることが多いかも。聖書にはコエンドロと書かれています。他にもこの葉はパクチーとも呼ばれます」
コエンドロは両手をひらひらと動かしました。
三つ首兎は夢中でクッキーをほおばっています。
紅茶をひとくち飲んでから、セトが口を開きました。
「わたしは神様のお使いで、ガーデンエデンを出て行った人の後を追いかけています。神様が心配していますから、わたしといっしょにガーデンエデンに帰りましょう」
「わたしは……」
コエンドロは一度言葉を切ったあと、続けました。
「わたしは、なんで神様はわたしの種に似せてマナを作ったのだろうって考えているの。先ほども、モーセのことを話したけれど、神様ご自身に似せられて造られたという人間、あの生き物は本当に野蛮なのに神様は彼らのことを特別に愛している。エデンから追い出したというのに、ずっと気にかけているでしょう?」
「神様はあなたのことも気にかけています」
コエンドロは紅茶をひとくち飲みました。
「だからマナはわたしの種に似ているのかしら」
「きっとそうです! だからわたしといっしょに帰りましょう!」
ティーカップをゆっくりとおろして、コエンドロは首を振りました。
「いつか、人間という生き物がエデンに帰れるようになったら、わたしも考えてみてもいい。でもね、わたし、ガーデンエデンの外の世界のことが、まだまだ知りたいの。なんだかとっても不思議なことが隠されている気がするの。この世界の秘密。だから、わたし、まだ帰れない」
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「どんな秘密を知りたいのですか?」
ミトシャはたずねます。
「わたしは匂いを纏うでしょう。その意味を」
「それはガーデンエデンに居てもできることではないですか?」
「エデンでは、神様ご自身のかぐわしい香りが満ちあふれていて、わたしが必要とされていないように感じるの。でもね、この世界にはそのような香りを感じない。マナもやんでしまいましたしね。
だからこそ、わたしがここにいる意味があるように思うの。わたしは、わたしが存在するという秘密を知りたいのね。
わたしのことを嫌いな人も多いけれど、特に葉っぱはね。でもやみつきになって好きになる人もいるのよ」
「わたしは好きです!」
セトは身を乗り出して言いましたが、ラトはしかめ面をしています。
「わたしはこの世界の役に立ちたいの。その方が神様もお喜びになると思わない?」
「神様は、あなたや、エデンを出て行った人を残らず覚えていて、いつも心配しています」
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肖像写真を撮影し、ミトシャはその場をあとにしました。コエンドロの葉っぱと種をたくさんかかえて。
ミトシャは考えます。出て行った植物はみんな、誰かの役に立とうとしている。わたしのように、悪さをした罰じゃないんだわ。
立ち止まり、小夜色の空を見上げ、しばらくの間、ミトシャは自分のことを省みるのでした。
ミトシャの植物採集 第5話 おわり
***
ミトシャの植物採集、お楽しみいただけましたか?
さて、小夜色の世界でのコエンドロ(コリアンダー)はあのような姿をしていましたが、わたしたちの住む世界ではどんな姿をしているのでしょう。
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葉っぱの形にもしかしたら見覚えがあるかもしれません。アジア料理でよく使われるパクチーですね。みなさんは好きですか? わたしは大好きです。人によっても嗜好はさまざまな様子。三つ首兎の中でも好みは別れるみたいですしね。
特徴・形態
近年、大流行した食材のひとつ。半耐寒性の一・二年草で高さ60~120cm。独特の香りと光沢のある葉が成長するにつれ、裂けて羽状葉になる。初夏に淡紅色や白色の小さい花を咲かせる。果実は2個の半球形の果実が合わさった球状で爽やかな香り。
歴史・エピソード
最も古い時代から薬草として栽培されていて、古代インド語のサンスクリット語で書かれた文献や聖書にも記載されている。中東諸地方の物語集『千夜一夜物語』にも記録があり、媚薬や催淫剤として用いられていた。古代エジプトでは死者の魂を守るとされ、亡骸と共に墓に埋葬する習慣があったという。……
さて、本文の中にも出てきましたが、コエンドロは聖書にも登場します。
イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。
出エジプト記 16章23~31節
モーセの時代に空から降ってきた食べ物、あの有名なマナはコエンドロの種のようであったとあります。コエンドロの種は茶色く小さなものです。
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マナがどんな味がするのか、本当に知りたいです。ぜひ食べてみたいものです。いつか天国に行った時には食べることができるでしょうか。
次回の『ミトシャの植物採集植物採集』は
アネモネ
お楽しみに!
それでは、また小夜色の世界でお会いしましょう。
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