男の採点、女の採点について夫と話した話

めちゃくちゃ長いです!お時間ある時にどうぞ!



夫とは、ここ最近色々と話題になっているジェンダーに関する話とか、あらゆるハラスメントの話とか、よく会話するのだけど、その中でこの前「男と女はそもそもスタート時点での成績が違うよね」という話になり、その話がとてもおもしろかったので、書いておこうと思う。


その時もTwitterやニュースを見ながらジェンダーの話をしていて、その話の一環で男女の採点方式の話になった。

他人を採点するなんて、すごく失礼な話だと思うのだけど、経験した事がない人なんていないと思うし、10点、20点と明確に数字でつけなかったとしても、「あの人は●●な部分が良いよね」とか逆に悪いよね、とか、そういう事を思ったり、他人と共有したりした経験があると思う。


特に、恋人探しの段階で、考えたことがある人もいるのではないだろうか。

そういう人に対しての採点に関して、男女間においては、そもそも設定されているスタート時点での点数が違うのではないか、という話になった。

なお、ここから先の話はあくまで主観的な話であって、全員が全員そういうわけじゃない事も重々承知しているし、理解した上での話だ。
そういう人だな、って思う人が多いっていう話。

極端なんだけど、「じゃあ私たち恋人になりましょう!」という合格点が、男性側も女性側も10点満点中7点以上必要だったとして、
男性が女性に対して最初に設定する基礎点が「+3」なのに対して、女性が男性に最初に設定する基礎点が「-3」の事が多く、決して「0」スタートじゃないよね、という話から始まった。

まず、基礎点の話。

そもそも、なんで最初から男性から女性は「+3」スタートなんだというと、それは、女性と性的行為をする事を容易に得られやすくなる、という条件が、恋人になるだけで得られるから。

だから、相手が「女性」というだけでとりあえず「+3」になる。

なお、ここでいう性的行為って、単純に性行為だけではなくて、
例えば「女の子と一緒に手を繋いで歩きたい」とか「女の子とキスしたい」とか、通常の友人同士、知人同士では経験しづらい事が、できるようになる、という事だ。

でもそれって、女性側だって思っていたりする。相手が好きな人ならなおさら。好きになるってそういう事だから、不思議な話ではない。

じゃあ、なんで女性から男性は「+3」ではなくて、「-3」なのか、というと、そいう性的行為の前に、基本的に女性は、

「自分の気持ちを言わなくても理解してほしい」と思っている一方で
「男性は女性の気持ちを理解できない生き物だ」ってどこか諦めて見ているよね、という話になった。

この「諦めている」という点が「-3」になる要因だ。
そして厄介なのが、女性の気持ちをめちゃくちゃ理解していて、女性の扱いがうまい人は「遊んでいる」「女性に慣れている」と思われがちで、そこでまたマイナスポイントになりやすい、という事だ。

結局、男性の基礎点がマイナスから脱出できないのだ。
スタートの段階で6点も差がある。それなのに合格点は一緒って、不公平だけど、これで合格点が男性の方が低いと、今度はそれも不公平になるから難しい。

あと、男性側だって別に性的行為無しで恋人がほしいって思う人もいると思うから、この「+3」が無い人だってもちろんいるし、
女性側だってフラットに見られる人はもちろんいるだろうから、ちゃんと「0」からスタートできる人もいると思う。

でも、きっとそんな人、レアだ。
なかなかいない。
そんな人がたくさんいたら、性犯罪やセクハラ被害に合う女性はもっと少ないと思うし、女心を理解してくれない!っていうドラマや漫画が、度々流行ることもないと思う。

一番理想的な動きは、基礎点をお互い0にしましょう、なんだけど、そうするには個人の価値観のアップデートから始まり、ゆくゆくは社会全体の価値観のアップデートが必要で、めちゃくちゃハードルが高い、というのが現状だ。

男は下心があるもの、という認識と
男は女心がわからない、という認識が
世の中の大多数の人の中にある共通認識だし、
それが当たり前だと思っている。
だから、それはおかしい認識なんだ、とは思わない。
おかしいと思わない以上、価値観のアップデートは起きない。

そして、それがおかしいと気づいていても、染み付いている価値観や文化を消すことも容易ではない。
女性の性的搾取を無くしたいなら、男性の性的搾取も当然無くすべきだし、
女性の性的搾取は同じ女性が行う事だってもちろんある。
それが文化や一般常識として根付いていたら、払拭するのはもっと大変だ。
だから、大抵は、おかしいと気づきつつ、自分の世界と手の届く範囲は最低限守りつつも、根本解決には動けないのだ。

仕方ないし、世知辛い。
社会全体の価値観がアップデートするには、
1世代ぐらいがごそっと変わらなくちゃいけないのだけど、そんなことをしていたら、下の世代から新たな価値観を提言されるようになる。
とてもじゃないけど、恋人探し、という今を頑張っている人たちには間に合わないのだ。

じゃあ、基礎点0スタートは無理だとしても、基礎点違うから、女性の方が合格になりやすいよね?
なのになんで、こんなに恋人できなくて頑張っている人が多いのか?という話になった。

もちろん、女性から見た男性が合格点になかなか達さないため、女性が単純に断ってしまうからというのもあるからだ、とも思うのだけど、(これがいわゆる「女性は理想が高い」と言われる理由の一つの原因かなとも思う。理想が高いのではなくて、そもそもがマイナススタートだから加点しなくちゃいけない点数が多いのだ)

でも一方で男性側が採点した女性が合格点に達さない事ももちろんあるわけで、合格になりやすいのに何で?って考えたら、

そもそも、同じ採点項目でも、加点数・減点数が大きく違うからではないか、という話になった。
要は、男性が女性に、女性が男性に「当然だ」と思う項目と「これができるなんてすごい」と思う項目が違うのだ。前者なら当たり前だから加点されず、後者なら加点が大きく、そしてそれは決して同じ内容ではない。

例えば夫は、家事を普通にやる人で、料理・洗濯・掃除・買い物・家の公共料金支払い関係・ごみ捨て等々、何でもやってくれる人だ。それも自発的に。
内容によって、向き不向きがあるので、気が付きやすいのもあれば、言わないと気が付けない部分ももちろんあるのだけど、お願いをして「嫌だ」と言われた事は一度もない。私の帰宅が遅くなった日とかは、何も言わなくても当たり前の様にご飯が出来ている事も少なくないし、在宅勤務が終わったら真っ先にお昼の皿洗いを始めてくれる。

で、ここまで言うと、私の友人からは「よくできた旦那さんだね。すごい。羨ましい。」と言われる事が多いし、純粋に私は誉め言葉として受け取って、嬉しいから夫に伝えるのだけど、

夫からしたらそれは生活をする上で当たり前の事であり、
もしずば抜けて料理が得意とか、掃除が得意とか、もはや特技の域に達するような事だったらまた変わってくるけど
社会人としてごく一般的な事をやっているだけなのに、それが男性にとっては加点になるのは、不公平だよね、これは当たり前のことだよ、と言う。

そして、それが私の友人や知人から言われるのならともかく、会社の人や自分の関係者から言われる、特に女性から言われると、時々イラっとするらしい。
それって、そもそも他の要素も十分見えているはずなのに、「家事とかできない人」というマイナスイメージを元々持っていたからそういう言葉が出てくるのであって、相手は誉め言葉かもしれないけど、下に見られているんだな、と思うらしい。

なんと可愛げのない事を言うんだ、と思ったけど、すごく納得した。

つまり相手は、「『男性なのに』家事ができる」と思っているという事だ。
当たり前のことだけど、家事に性別は関係ない。

なので採点の話に戻すと、家事ができる男性は一気に+5点ぐらい加算される場合はあるのに対し、女性が家事ができる事は「当たり前」という価値観がある事によって加点にはならないし、
一方で、「家事ができない」というのが、女性にとってはマイナスになりやすいのに、男性にとってはマイナスにならない事がよくある、という事だ。

現に、家事を一切やらなくて、定期的に母親に来てもらって掃除をしてもらったり、料理もやらないから毎日コンビニ食か外食をしていた男友達は、私の知る限りだと10年近く恋人を切らしたことがなく、その結果逆玉とも思える様な結婚をした。(奥さんがめちゃくちゃお金持ちだった)

ルックスがよっぽど良かったのでは?と思うかもしれないけど、そんな事は無い。どこにでもいる、普通の人だ。
彼女にとって「家事をやらない」というのがマイナスにならなかった、というだけだ。(弁解のために言うと、その男友達はとても良いやつだ。)

これが男女逆だったらどうだろう。
結構ハードモードな気がする。

恋人に求める条件なんて、順位は違えど、項目に大差はない。優しい、とか、ルックス、とか、誠実、とか、金銭感覚とかだ。

こういう同じ採点項目なのに、加点数・減点数が異なる、と言うのが、
恋人探しの段階での採点方式内ではたくさんある。

誠実、なんて、きっと浮気しない、とか、嘘つかない、とかなんだろうけど、それは当たり前の話だ。
にも関わらず、ワイドショーとか見ていると、浮気発覚後に男性は笑い話になる場合が多いが、女性は決してならない。いつまでも叩かれる。誠実でなかった点では一緒なのに。

これは女性がいつまでも叩かれて可哀想と思われがちだし、それもあるけど、
男性はそういう生き物、って馬鹿にして諦めているのもあるのだ。

優しさ、なんて、男性が求める優しさは何でも受け止めてくれる事、だろうけど、女性は男性が少しでも家事をしてくれたら「優しい」になるのだろう。
何度も言うけど、家事に性別は関係ない。
そこに優しさは必要ないし、当たり前のことだ。




こういえ採点のズレは、晴れて恋人になったとしても、その先に進んで夫婦になったとしても発生する。

そのズレを直していくのは、やはり個人の価値観のアップデートが必要だし、相手の価値観のアップデートが必要だし、最終的には社会的価値観のアップデートが必要なのだ。

価値観が違くて別れた、という話よく聞くけど、価値観は違くて当然なのだ。他人なのだから。その価値観のズレを改善できなかった事が問題なのだと思う。 

そして会話は、

「じゃあそのズレを改善しない限りは、恋人つくるのってめちゃくちゃ大変だよね。昔と違って、当人同士で話を進めなくちゃいけないわけだし、よくわかるのは自分の価値観だけなのだから、そもそもズレている事に気が付かない可能性だってある。価値観が似ている人を見つけるのなんて、奇跡だよ。めちゃくちゃ難易度高い。」

と、当然なった。

だから、価値観が似ている人を探すよりも、その価値観のズレを改善していく様に関係性を深めていく方が、よっぽど建設的だよね、となった。

そして、そのためにやるのは、会話して観察して行動する、これ以外にないよね、となった。

きっと一番難しいのが、会話だ。
話すのではない、会話をする。
相手の事をよく聞き、自分の事もよく話し、ちゃんと聞いてもらう事が必要。

決して、「察してほしい」なんて思っちゃダメだし、ましてや相手の愚痴をどこかに吐き出してスッキリさせて終わりにするのは論外だ。
そこに吐き出す前に、相手に伝えないと何も変わらないし、待ってても変わらない。
そもそも基準としている価値観が違うのだから、自分が1日で直してほしいと思っている事は、相手からしたら1週間かけて直せば良いと思っている場合のことだってある。
価値観は、良い悪い、白黒だけではなくて、その重さや、時間の長さも違う。自分の1日が、相手も同じ1日とは限らないのだ。

冷静に考えれば当たり前の事なんだけど、異性になると、ましてや恋人や、これから恋人になるかもしれない、っていう、ただの知人とはちょっと違う人相手だと、意外と実行が難しい。

言って嫌われたりしないか、幻滅しないか、という感情がどうしても出てくる。仕方のない事だ。

私もそう思ったから言わないで、我慢して、相手に合わせ続けた結果、別れた人・嫌われてしまった人がいる。怖くて動けなかった。

でもそんな経験を積んでいくうちに気が付いた。
知らない間に嫌われている方がキツイ。苦しい。悲しい。
嫌われるなら、その原因をちゃんと知りたいし、改善できる余地があったかもしれないのに、知らない間にマイナス点が相手に加算され続けると、それを挽回するチャンスすら自分には与えられないのだ、という事だ。

そんなのむなしすぎる。好きな人相手だと余計だ。

そしてそれは逆の立場になっても同じなのだ。こっちが一方的に相手に対するマイナス点を加算し続けて、結果お別れしたとしたら、相手からしたら「なんで!?」って思うだろうし、別れ際に理由を言われたとしても「今更そんな事言うなよ!」ってなるし、「それなら改善するから挽回させてよ!」って未練がましい事言われるかもしれない。

せっかく貴重な経験しているのに、後味が悪いのだ。

それと、「会話したくても相手が聞いてくれない」という人もいると思うし、実際相談された事もあるのだけど、話を聞いていると大抵が、そもそも会話になっていない。
会話にならない原因は、相手が聞いてくれないのではない、自分が演説しかしていないからだ。

ここでいう演説とは、「ああしてほしい」「こうしてほしい」を伝えるのみで、相手がどうしてほしいという事を聞かず、聞いても言ってこない、もしくは、相手から「じゃあどうすれば良いの?」と聞かれても「自分で考えろ」と答えてしまう。もしくは相手の要望や状況を一切無視した、自分の都合が良い事だけを盛り込んだ要求をしてしまう事だ。

それを繰り返すと、次第に相手は聞くことすらしなくなる。
自分の言っている話を理解しようとしてくれなくなる。

でもよくよく考えると、当然なのだ。演説なのだから。
街頭演説している人がいたとして、最低でも興味ある相手で、よっぽど心と時間に余裕があるか、「今日は演説聞くぞ」と目的をもってその場にいない限り、多くの人が素通りすると思うけど、それと同じなのだ。

なぜ聞かないか。自分の声が届かない事を知っているからだ。

じゃあなんで、相手は自分の声が届かないと思っているのか、
それは普段から相手が自分の声が届いていない経験をしているからだ。だからいざ聞かれても諦めてしまって言わないのだ。
つまり、立場を逆に考えると、自分が相手の声を聞いていないから言ってくれない、ということだ。

会話するには相手の声を聞かないといけないのだけど、そもそも普段から会話ができていないのだ。重要な事だけではなくて、普段の、何気ない会話から。

そしてそれが積み重なると、相手が話を聞いてくれない、に繋がる。

一方的に声をかけていないか、普段から相手の話を聞いてあげているか、自分の忙しさを理由に、相手の言葉を疎かにしていないか、そういう一つ一つの積み重ねが、価値観のずれをなくしていくのだと思う。
一日で改善する事では決してない。

そして、付き合った当初は優しかったのに変わってしまった、って声よく聞くんだけど、
それはきっと、相手に慣れて、関係に慣れて、疎かにしている場面が1つ、2つと増えていったから、というだけだと思う。
人は、そう簡単に変わらない。相手の扱いが雑になるのだ。

私たち夫婦の間でも、価値観のズレはもちろんある。
そのズレが良い時もあるから、一概に全部同じにする必要はないと思っているけど、大きくない方が良い、というのがお互いにあって、
出会った当初から一貫して、お互いがお互いに嬉しい事と不快な事はすぐに伝えるようにしてきた。

結婚を決めた理由は色々あるけど、こういう価値観のズレがある事が当たり前であるということをちゃんと理解できていて、それを無くすための努力を惜しまないという点も理由の1つだ。

私たちは一度もケンカをしたことが無いのだけど、何度か夫を叱った事はある。
叱った事に対して、「理不尽だな、とか嫌な気分になったりとかしないの?」と聞いてみたら、

「そもそも、その前段階で何度も『やらないで』と理由もちゃんと、感情に任せないで教えてくれた上で言われているし、難しかったらやりやすい方法を考えようと言われているのにも関わらず、それでも難しいとも伝えずやってしまって叱られるのに、理不尽も嫌な気持ちもない。ただ反省する。ごもっともだ、と思う。」と言われた。

当たり前すぎて前段階でどう言っているとかいちいち覚えていないのだけど、確かに理由なしで怒る事はしないし、いきなり怒ることもしないので、ちゃんと伝わっているし、理解しようとしてくれていることが嬉しかった。

今後、夫婦生活はどんどん変わっていくと思うけど、いつまで経ってもこういう話ができる関係でありたいし、相手は自分ではない、という事を忘れないで価値観のアップデートを続けていきたいと、改めて思った。

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