介護と仕事の両立に悩むのである
わたしは自営業者なので比較的時間には自由があるのだが、いや、自由というのではないのかもしれない、お客様次第で時間を融通しないとならない業態であるのだが、ほんとに痛感するのは、「役所と、銀行と、病院」というところは、ほんとうに先方の都合に合わせないとならない相手先なのである。
昨日、追加の通院介助が増えてしまったということを書いたばかりなのだけども、いくつか受託して出向いている場所があり、そこを休ませてもらったのだが、注意がきてしまった。アポが入ってなかったからよしと思ったが、先方からのアサインなしでこちらが休みというのはあっても、こっちから休むというのはだめだということらしい。
母の検査は来週である必要はなかったように思う。でも、そこ以外、ぜんぜん予約が入れられなかったのである。来月でも再来月でもよかったのかもしれない。しかし車いすに座ったところから上目づかいに見上げられると、私には都合がありますと言い切れない弱さ。
こんなとき、ここの仕事を辞めようかなあとしみじみ感じる。
仕事の優先度とか、金銭とか、モチベーションとか、諸条件とかと天秤にかけても、もういいかななと思ってしまうのである。
しかしここに限らず、たかだか月2-4日の通院介助ごときで、一事が万事こんな影響を受けてしまい、わたしは結局、母の通院に付き合うために生きているのかねと思い詰めてしまうこともある(在宅介護をしてるのでも、認知症に悩んでもないのに、へたれ介護うつでないか)。
自分がセミナー先生の側になっているときは、介護離職に早まらないでと、大きな声で伝えていたりする自分であるが、離職してしまおうかという疲れはしみじみわかる。
人生の優先度で、目先の仕事なんて割り切ってもいいのかもしれないとも思う。いや、でも飯の種があるかないか、社会とつながっているかいないか、いったんそのリボンの紐を解いてしまったら次がないリスクは大きいのも現実である。
(母さんの通院介助を人生の優先度の上に置くとするのも、偽善気味でどうかと思う)
このあたりの介護について、わかってくれる人がいるかいないかの部分は大きい。(子育てに悩んでいる人も同じような悩みを抱えていたのだろうなあ、発熱してしまったり突発すぎるものなあ)
しかしプロ仕事の部分で、プライベートの事情をわかってくださいというのはただの甘えですといえば、そうですよねと頭を垂れるしかないかもしれない。
辞めようかな。
疲れていると考えが100ゼロに振り切れてしまったりする。
血のつながった家族しかわからない重さというのはあるからなあ。
孤独を抱えているのは私一人ではないのだろうなあ。