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「平穏死」Hさんの場合・・・・・・ 許し許され送られた最期

Hさんは88歳の女性。
若い時にご主人を亡くし、小豆島で、女手一つで助産婦をしながら一人娘を育てました。娘さんは大学進学の際に、地元を離れ大阪に転居。その後からHさんは長年一人暮らしをしていました。


施設入居時の様子

Hさんは、10年前から認知症を患っていて、小豆島で一人暮らしが出来なくなり、一人娘さんが引き取って同居していましたが、誤嚥性肺炎ごえんせいはいえんで入退院を繰り返すたびに、認知症が悪化し、ご自宅での生活が出来なくなって、施設に入居されました。
実はHさんは、娘さんのご主人と折り合いが悪く、娘さんの悩みでもありました。

Hさんは食べることが大好きで、お話も大好きでした。
いつも腕まくりをする動作をしており、助産婦さんの名残かな・・と感じました。
ラッパーの様に「ごはーん、ごはーん」とリズムを付けて訴えます。
飲み込みが悪いHさんの食事は、ムース状の軟らかな物でした。ご自身で召し上がるのですが、かき込むようにパクパク・・・それはそれは早いのです。
いくら食べても、足りない様子でした。長持ちするように、色々な物を試してみました。大きな大きなペロペロキャンディなら時間がかかるだろうと準備しましたが、ひとなめして、テーブルに叩きつけてしまい、粉々になってしまい、スタッフ一同「ちーん・・・」

Hさんは甘いものが大好きでした

スタッフにかけてくださる言葉は結構辛辣しんらつで「あんたは、こども産まない方がいい」なんて言われてしまったスタッフは落ち込むのでした。
話しかけるといつも何かしら答えてくれ、よく「ことわざ」を言い合いました。しりとりもしていました。
いつも「りんご」→「ゴリラ」→「ラッパ」→そしてHさんが「パン」と言って終わるのでした。

症状悪化した時の様子 娘さんの選択

施設入居してからも、何度も誤嚥性肺炎ごえんせいはいえんを繰り返しました。施設でも、施設でできるだけの治療は行います。抗生剤の点滴をし、一時期食事を中止し、体力の回復に合わせて少しずつ又食事を始める・・・
そんな繰り返しの日々。

娘さんとは、入居時から今後Hさんが、どの様になっていくのか、どこまでの医療を望むのか等、施設内でできること、できないこと、Hさんにとって望ましい最期の話 などなど たくさんのお話をしました。

ご本人の希望が聞けなかったのが残念でしたが、娘さんはこれ以上入院して治療をするという選択はされず、最期まで施設で暮らすことを選ばれました。

施設では一切拘束こうそくはしません。
しかし、入院したら、治療の為に拘束されてしまうということを、娘さんはご存知で、それが辛かったのだそうです。

看取り期になって(結いけあ)

そろそろ看取り期という時に、改めて、娘さんとお孫さん2人にお話をしました。
①Hさんが、これからどうなっていくのか
(老衰の経過を説明・パンフレットを使って)
②家族の人にしかできないこと3つをお願い
(思い出を語る事、今までの感謝を伝えること、これからの家族の夢を語る事)
③ご自宅で準備してほしいもの。
(亡くなった時に着る服の準備、口座の整理、遺影の準備、葬儀社の選定)

娘さんは、もうすぐお別れする事が辛くて、泣いていました。
お孫さんも泣いていましたが、同時にHさんとの思い出もたくさん話してくれました。一緒に「ドリフターズ」を観て楽しかったと・・・・

Hさんのお部屋では、小豆島の「オリーブの歌」のCDをかけて、お花を飾り、アロマを焚いて、少しでも快適な環境に整えました。

お看取りの時期になると、いつでも会いに来ていただけるように、夜間も対応します。お孫さんは仕事の関係で20時以降にしか会いに来れなかったからです。宿直職員とも協力し、結いけあは特に全職員で協力が必要となります。

自宅で発見されたもの、そして「許し」

娘さんは、早速自宅に帰ってHさんの荷物を整理し、亡くなった後に着る服を探しました。10年前、小豆島から持ってきたHさんの荷物、その中から、日記を見つけたのです。

Hさんと、娘さんの夫とは、犬猿の仲で折り合いが悪く、私たちも一度も会うことが無かったのでした。
しかし、その日記には・・・
「娘が大切に思っている ○○さん、私も大切にしてあげないといけない」
「仲良くしないと娘が可愛そう」
そんなことが書かれていたそうです。
うまく表現できずまま、認知症になってしまったHさん。
・・・・・・・
その日記を読んで、娘さんはすぐに、ご主人に見せました。
お二人で号泣されたそうです。
ご主人
「ばあちゃんに会うのは、死んでからと思ってたけど、明日すぐに行く」
そう言って翌日来てくださいました。

その時、Hさんの意識は、はっきりしていなかったけれど、Hさんのお部屋の中には確かに「許し、許される、全てまーるく治まった」そんな空気が漂っていたように思いました。

その2日後、Hさんは静かに息を引き取りました。

お看取り後

お通夜に参列させていただきました。
娘さんのご主人が、それはそれは感謝してくださいました。
88歳・・・大往生だと。
私たちは何も特別なことはしていないので、恥ずかしくなるほどでした。親戚の方たちに施設の紹介もしてくださり、
「ばあちゃんは、最期とっても良い所で過ごした」そんな風に話すご主人は明るくて、娘さんも穏やかな表情をしていました。

アルフォンス・デーケン氏が「死生学」で
「死に向かって準備する事」の一つに「許すこと」というものがあります。
長年生きていると、人間関係で何かしらのトラブルを抱えている人が多い。しかし、許しを与えて、許しを得る、過去の事は変えられないが、許すことで自分自身が豊かになる、と言われています。

Hさん、そのご家族から、そのことを教えていただいたと感じました。
そして、穏やかに亡くなるために、準備が大切だと改めて思いました。

Hさん、Hさんのご家族に感謝の気持ちを込めて・・・

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