「平穏死」Yさんの場合~命を使い切るってどういうこと?~
Yさんは100歳の女性でした。
98歳まで一人暮らしをし、ほとんど自立した生活を送っていました。
水墨画が趣味で立派な絵がたくさん自宅で保存されていました。
ある日自宅で、急に倒れて、救急搬送された病院で急性膵炎がわかり、入院治療され、4週間後リハビリ目的で転院しましたが、その後自宅に帰ることは出来なくなり、施設入所となりました。
Yさんの日常生活
Yさんは食べることが大好きでした。
施設で月に一回開催される「パンの日」には、大好きなパンをたくさん買って、ご自身の部屋に帰る前に開いて食べだしてしまうほど…とっても愛嬌のある方でした。
98歳までご自宅で一人暮らしをしていた方ですから、基本自由に動きたい、自分でできることは自分でしたい、そんな当たり前の生活を送りたい方でした。
入居されてからは、頻尿で困っていて、しょっちゅうトイレに行っていました。ご自身で車いすを使用し、何度も何度もトイレに行くのでした。
医師にも相談し、頻尿の治療もしていましたが、効果は無かったのです。
当然、転倒のリスクがあります。
起き上がり、車いすに移乗し、トイレまで行き、排泄する・・・という一連の動作には危険が隣り合わせ・・・
Yさんのご家族、その思い
Yさんには、長男ご夫婦、長女ご夫婦が良く会いに来てくださっていました。98歳という年齢を考えても、入居された時から終末を見据えたお話が必要で、相談員、看護師は何度もご家族と面談をしていました。
ご家族の思いとしては・・・
「何事も無く、平穏に過ごしてほしい、動いたら危険だから、動かないように伝えてほしい・・・
けがをさせないでほしい・・・」そんな風に思っていました。
長男ご夫婦はYさん自身にも「動くときには危険だからナースコールを押すように」と口酸っぱく言い聞かせ、枕もとには大きな字で本人が読めるように「一人で動かないように」と書かれた紙が貼り付けてありました。
大切なお母さん、日々穏やかに・・・何事も無く、何事も無く・・・と祈っておられました。
でも、Yさんがナースコールを押すことも、だれかの介助を待つことも無く、自由に動き回っていたのでした。
自由な生活と、危険は背中合わせ
転倒、骨折は起こってしまった
入居1週間後、Yさんは、いつものように、ベッドから立ち上がり、車いすに乗ろうとして転倒し、太ももの付け根の骨を、骨折してしまいました。
すぐに救急搬送、整形外科に入院し手術をしました。
10日後、施設に戻ってこられました。
見事な回復力・・・
退院後の経過も良好で、以前の様にご自身で一生懸命動かれるのでした。
そして、1年以上経過し、施設で100歳を迎えました。
急な吐血、そして緊急入院、その後
令和5年の2月、なんの前触れも無く、急に吐血をし、救急搬送となりました。吐血の原因はわかりませんし、検査もできませんでした。そして、誤嚥性肺炎も確認され、医師からは「今後、口からはもう何も食べられません」という診断が下りました。
そして、療養型の病院を紹介され転院となったのです。
人生最終段階で、どんな生活を望むのか
転院先の病院で医師から
「思っていたより元気そうだから、高カロリーの輸液(点滴)を首から太い血管に直接入れるようにしましょう。もう少し元気になるかもしれないから」と勧められ、同意書にサインをするように促されました。
ご家族は悩みました・・・
「もう100歳・・・これ以上痛い思いをさせたくない」
「それにリスクもあると聞いている」
「点滴を自分で抜いてしまうから、当然拘束されてしまう」
「ベッドに縛り付けられて、元気になっても仕方ないのではないか」
「でも、点滴をしなかったらこのまま死んでしまう」
「お母さんは何を望んでいるだろう・・・」
「そもそも、口から食べてはいけないのに、元気になってどうなるの?」
ご家族は悩みに悩んで、施設に相談に来ました。
ケアマネジャー、看護師が悩みを伺い、いろんな選択のメリット、デメリットを伝えました。
そして「もし、医療的な事を何もしないのであれば、どうぞ施設に戻ってきてください。残りの生活をみんなで整えて、亡くなりゆく事を自然な事と捉え、Yさんらしい生活を整えていきます」
ご家族は翌日、病院の医師に思いを伝え、1週間後Yさんは、施設に戻って来られました。
Yさんは命を使い切って旅立ち、ご家族は大満足された
病院から戻って来られたYさんは、しばらく食べていなし、寝たきりであったし、生気が無かったのですが、目力はありました。施設に戻ったことを理解されているようでした。
まず行うことは「整える」事。
お口の中をきれいにし、お身体をきれいにし、安楽な体勢に整える。
お口の中をきれいにすると、「何か食べたい」と伝えて下さいました。
座れるように身体の状態も整え、口回りのマッサージも行い、嚥下機能の確認も行い、食べてみようか・・・ということになりました。
かぼちゃのペーストをお茶碗に入れると、ご自身の力でスプーンを持って、自分で口に運びました。
「おいしい?」の問いかけに 大きくうなずいて・・何口も何口も食べることが出来ました。周りで囲んでいたスタッフは大喜び。
ご家族もとても喜んでくださいました。
終末期、ご本人の望む生活がそこにはあったように思います。
「食べる」ことは「生きる」事
Yさんのペースで、欲しい時に少しだけ食べたり、飲んだりしてもらい、決して無理はせず・・・
しっかり起きている時には、車いすに移って庭の桜を観に行くこともできました。園庭の桜は満開でした。
桜の木の下で、Yさんはご自身で車いすをこぐこともできました。
良いお顔でした。
それが、亡くなる1週間前です・・・
その後、少しずつ眠る時間が増え、食べ物も飲み物も欲しがらなくなり、眠りの中で旅立っていかれました。
ご家族は
「あの時点(療養型の病院への転院)で、医療的な事を選択せず、生活の場に帰って来られて本当に良かったです。おばあちゃんらしく、最期まで過ごすことが出来ました。本当に良かった・・・」と喜んでくださいました。
Yさんの終末期。
命を使い切る、という意味を教えていただいたのだと思います。
Yさん、ご家族様、ありがとうございました。