人は生きてきたように、亡くなる・・・と教わった Cさん お茶会をしながら、お見送り
出会った時の様子
72歳でアルツハイマー認知症を発症され、精神科病棟から当園に入居されたCさん。車いすに安全ベルトで固定され、頭にはヘッドギアを装着していました。
意思疎通困難で無表情のCさんでした。
施設では拘束ゼロですから、入居と同時に安全ベルトを外し過ごしていただきました。すると、どうでしょう・・・一生懸命立とうとされるのです。
両脇を抱え立っていただき、歩行の訓練を行うと、あれよあれよという間に、自分で歩けるようになったのです。
その歩いている様子は、ニコニコ笑顔で出会う人には、きちんとお辞儀をして、部屋のカーテンを開けたり、水道の水を出したり、キッチンカウンターでは、おやつを食べる、という日課が出来ました。私たちは、その様子がとっても嬉しく、又二人の娘さんも喜んでくださいました。
もちろん危険も伴います。しかし、Cさんのこの笑顔を守りたい、その一心でケアに当たっていました。
誤嚥性肺炎で入院
食べることが大好きなCさんでしたが、だんだんと飲み込むことが下手になってしまい、誤嚥を繰り返すようになりました。入居されてから4年。ある年の9月末、肺炎の悪化で急性期の大きな病院に入院となりました。酸素吸入をしても、なかなか血中の酸素濃度は上がらず、抗生剤も効かず、娘さんたちは医師から「10月まで持ちません。」と説明を受け、覚悟をし、準備も始めたそうです。ただ、娘さんたちの思いとしては、もう一度施設に帰って、施設のスタッフに看取ってもらいたい、という希望を持っておられました。
私たちも、施設に帰ってこられるまでの回復を祈っていました。
いままでお世話させていただいていた私たちが、最期まで、Cさんの人生を仕上げるお手伝いがしたいと強く思っていました。
みんなの思いが通じました。
10月末、酸素吸入は1リットルにまで減り、点滴を1日1本している状態で、退院することが出来ました。もちろん、口からは食事を摂ることはできません。強制的な栄養補給を、娘さんたちは選択されず、お看取りのための退院でした。
退院後、お看取りまで
奇跡的な退院を、スタッフみんな喜びました。
娘さんたちも喜んで下さいました。
ご本人は、言葉は発せずとも、目をぱちくり動かして、喜んでおられるように感じました。
ここからのケアの大きなポイントは「整えて維持すること」につきます。
部屋の環境、お身体の状態、苦痛様の表情にならないように細心の注意を払い整えました。
「絶対に※1褥瘡は作らない」介護スタッフの強い決意を頼もしく思いました。
お看取りの時期、特に大切になってくるのが、口腔ケアです。
口は開けたままで、酸素吸入もしていましたから、乾燥が激しく汚れやすい状態でしたが、いろいろ調べた結果、抗菌力の強いマヌカハニーと酢を用いて口腔ケアを行いました。
すると、どうでしょう・・・
口の動きが活発になってきたのです。
「味わっているよね・・・」
「甘いもの大好きだったもんね」
命をつなぐ栄養としての食物は、もう口からは摂れないけれど、味わうということが出来ていることに気づいたのです。
「Cさん、あんこ好きだったから、あんこなめさせてあげたいね」と介護スタッフ「ぜひぜひ、なめさせてあげて」と娘さん。
Cさんの表情も穏やかです。
また、お身体をきれいに保つことも大切です。
寝たまま入れる「特別浴槽」を使用し、娘さんにも協力いただき、一緒に入浴介助をしました。好きな音楽をかけながら、好きな入浴剤を使用し、最高の入浴になるように気を配りました。
「これが、人生最後の入浴になるかもしれない・・・」そんな思いでした。
亡くなる当日
10月下旬に退院され、約50日、施設で過ごすことが出来ました。
12月中旬、朝から※2下顎呼吸が始まりました。
娘さんには「多分、そろそろお別れの時だと思います・・・」と伝えます。
次女さんは、ずっとCさんの傍にいて、アロママッサージなどをされていました。長女さんは、午前中の仕事を済ませて駆けつけて下さり、一緒に過ごされていました。
私たちスタッフは、お部屋に行く度にCさんに触れ「大丈夫よ」と声をかけ、娘さんと言葉を交わし、口腔ケアをする。何人もがそれをする・・・
代わる代わる、ほかのユニットの職員も・・・
ご本人は、あちこちのユニットに出かけていたので、Cさんの事を知らないスタッフは居ません。施設内のアイドル的存在だったのです。
あっという間に夕方。
Cさんの呼吸は朝と変わりません。
日勤の仕事が終わったスタッフが、一人、二人とCさんの部屋に集まります。今にも旅立ちそうな、その大切な時間を共有させていただきたいと、娘さんの許可をもらって、8人みんなでベッドを囲み、お茶会が始まりました。飲み物を用意した私たち、お菓子を下さった娘さん。
私たちは、入居されてからの思い出話をしました。
娘さんたちが話してくれる内容は、幼い時からの家族の思い出話、娘二人に対する教育方針の違い、あれやこれや・・・とっても楽しく面白く、みんなで大笑いでした。和やかな時間・・・2時間ほど経った頃・・・
朝と同じ呼吸です。
8時半、いったんお開きにしましょう・・・と解散して1時間後、夜勤者の見守る中、Cさんは静かに旅立たれました。
娘さんの言葉
後に、娘さんがこんな事を話してくださいました。
(Cさんは昔、お花やお茶、木彫りの先生をされていました。)
「母は、昔から周りに人が集まって、和やかな雰囲気を作ることが得意な人でした。楽しかった最期のお茶会は、母が娘のために作ってくれた時間だったと思います。母らしい最期でした・・・私たちも生涯忘れることはできません。ありがとうございました」
これから旅立つ人の前で、厳かに悲しんで暗くなる必要は無いのだと学びました。
亡くなるタイミング
実は、どの方も亡くなるタイミングは、自分できちんと選んでおられます。
Cさんは、最期はお茶会を終えて、そっと、お一人で逝く姿が、ご本人らしさだったのだと感じています。
Cさん、大切な経験をさせて下さり、本当にありがとうございました。
※1 褥瘡・・とこずれ のこと
※2 下顎呼吸・・亡くなり際の特徴的な呼吸