「平穏死」Fさんの場合・・・不思議がいっぱい💛息子さんに会ってからの旅立ち
桜が満開になるころ、毎年Fさんのお看取りの事を思い出します。
Fさんは88歳の女性で、15年以上前から認知症を患っておられました。
Fさんは元々眼科医で、当時はずいぶん苦労して医師になったのだと伺っていました。
ご主人も医師で、実は当老人ホームの嘱託医師を担ってくださっていました。一男二女を儲け、息子さんは、訪問診療をされる、在宅の緩和ケアの医師で、他県で開業されてました。
Fさんの様子
認知症を患って数年はご自宅で生活していました。認知症初期の頃には、ご主人と一緒にスイス旅行にも行き、素敵な写真を見せていただくこともありました。
認知症症状が悪化してくると、生活の全てにおいて介助が必要となり、施設でのショートステイを利用され、ベッドが空くのを待って、本入所となりました。
入所当時は、問いかけに返事もしてくださっていましたが、だんだんとコミュニケーションも取れなくなって、寝たきりとなってしまいました。
Fさんのご主人の様子
ご主人は当施設の嘱託医師として、週に2回来園されていました。
元々外科医で、短気な部分はありましたが、奥さん思いで優しい方でした。
施設では出来るだけ寝かせきりにせず、車いす等に移ってリビングで過ごす時間を作ります。ご主人は、Fさんの為に特注のリクライニング車椅子も用意してくださいました。
仕事では、当施設での「平穏死」への取り組みも理解し、いつも応援して下さっていました。
お看取りのあった時には、夜間を除き、土日であっても来園して下さり、ご家族に深々と頭を下げて「穏やかな最期でした、苦しむことなく旅立たれました」と死亡診断をして下さっていました。
Fさんのご家族のこと
長男さんは医師でした。他県で開業したばかり・・・
在宅の患者さんを専門に診る、緩和ケアの先生で、それこそ休日も無く忙しくされていました。
長女さんはお仕事をしながら、障害を持つ次女さんの介護をされており、多忙な毎日でした。
長男さんと長女さん、一緒にFさんに会いに来てくださったとき、Fさんが好きだったという「きんつば」を持ってきてくれました。
その頃、Fさんはもう「きんつば」を食べることは出来なかったので、スタッフはその きんつばをつぶして牛乳を加え滑らかにし、再度お皿の上で四角く形を作り「きんつば風」にして、ご家族に介助をお願いすると、Fさんは、おいしそうにパクパク召し上がったのです。ご家族は大変喜びました。
ご主人の病気
ある年の夏、ご主人は体調が悪く、受診の結果「悪性リンパ腫」だということがわかりました。
出来る限りの治療はしましたが、その秋、元気になることは無く、あっという間に亡くなってしまったのです。87歳でした。
私たちスタッフに「嫁さんのこと、頼むわな・・・」と言ったのが最期の言葉となりました。
ご主人が亡くなった後のFさん
Fさんの食事は、ミキサー食で全て介助をされている状態です。
ゆっくりではありますが、全量食べることができていました。
しかし、とっても不思議です・・・・
ご主人が亡くなった後の血液検査で、急にアルブミン値が下がってきたのです。(低たんぱく血症)
Fさんは、ご主人が亡くなったことは、わかっていなかったとは思いますがまるで、ご主人が迎えに来ているようだと、スタッフは感じていました。
Fさんの様子は長男さんに、検査結果も添付してメールで伝えていました。
施設では、ご家族が望めば、栄養補助食品の提供などもできますが、長男さんは望みませんでした。
そのまま、穏やかに過ごすことを望まれていたのです。
穏やかに日々過ごすこと、これは私たちスタッフができる日々のケア
「整えて維持すること」そのものです。
冬から春にかけて、Fさんの状態は、ゆっくり、ゆっくり人生最期の日に近づいていきました。
お看取りの時期
Fさんは低たんぱく血症のため、全身に浮腫(むくみ)が出て、だんだんひどくなっていました。体温も低く、冷たい手足をしていました。
そして、春
口から全く飲食出来なくなり、徐々に血圧も測れなくなりました。
ご家族には、残りの時間が少なくなっていることの連絡を入れており、長女さんがすぐに会いに来てくださいました。
遠方に住む長男さんからは
「なんとか仕事の都合がついたので、2日後にはうかがいます」
と返事をもらいましたが、正直、私たちスタッフは誰も
「2日後まではもたない」そう感じていました。
呼吸は不規則になり、身体は冷たく、脈拍は聴診器を胸に当てて、やっと聞こえるくらいで、1分間に20回程度しか無いのです。(高齢者の正常値50~70/分)
いつ、止まってもおかしくない・・・
どうか、どうか、息子さんが来るのを待っていてほしい・・・
スタッフみんなで祈っていました。
祈り通じて・・・
Fさんは頑張りました。
奇跡は起こりました。
2日後の朝、夜中に車を飛ばして駆けつけてくれた長男さんを待っていました。
「お母さん、よく待っていてくれたね・・・ありがとう・・・ありがとう」
そう言って長男さんはFさんの手を握り、声をかけてくれました。
周りにスタッフも集まっています・・・
その直後、パッと目を開けて(息子さんを確認するように)大きな呼吸を一つして、ふっと呼吸が止まりました。
その瞬間・・・沈黙が室内を覆いました
その時部屋にかかっていた曲は、ドヴォルザークの「遠き山に日は落ちて」
(よく放課後にかかっていた曲です)
ご主人が亡くなって、半年後の事でした。
息子さんは、Fさんのお看取りに立ち会うことができました。
Fさんは、息子さんの到着を待って、選曲までして、旅立ったのです。
これは偶然ではない
私たちは思います。
たくさんの高齢者のお看取りをしてきました。
「みんな、自分が亡くなるタイミングを自分で選んでいる」
そう、感じています。
息子さんからの手紙
息子さんからはスタッフへの感謝のメールをいただきました。
その中で・・・
「これだけ仕事で経験を積んできた自分にとっても、母の看取りは不思議があふれておりました。
中学・高校時代に自転車で旅に出るたびに、実家の玄関から見送りをしてくれていた母の姿を思い出し、今回も仕事に追われていた私を、一番故郷が美しい季節に呼び寄せてくれたのではないかと感じています。」
息子さんが、夜間車を飛ばして、故郷のインターを降りた時、車でかかっていたCDは「ふるさと」だったそうです。
お看取りのその時、実はどの方も不思議がいっぱいです。
全て計算されているように感じます。
Fさんは、息子さんに会いたかったのですね・・・
会えて良かったですね・・・
私たちスタッフも、みーんな嬉しかったです。
ありがとうございました。