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「長崎歳時記手帖」 第7回 年迎え

季節感を深呼吸!
いまにつながる江戸時代の暮らし「長崎歳時記手帖」

第7回 年迎え

 いまに伝わる年中行事や風俗習慣を、江戸後期の長崎で生まれた「絵」と「文」ふたつの歳時記を中心に、一年かけてご紹介していきます。今回は、出島の商館長のメイラン氏「十二月にはただ来るべき新年の準備だけがある」と言った通り、まだまだ終わらない年越し準備の続きと、大晦日の様子を見ていきましょう。

 「絵」は、町絵師で出島出入り絵師の川原慶賀が描いた「長崎歳時記」のシリーズで、原則として長崎歴史文化博物館のウェブサイト内にある「川原慶賀が見た江戸時代の日本(I)」からの引用でご紹介します。

 「文」は、長崎の地役人であり、国学者でもあったという野口文龍による「長崎歳時記」。元旦から大晦日までの年中行事やならわしが、細かく記されています。
 ふたつの「長崎歳時記」をまとめた拙著「川原慶賀の『日本』画帳」をお手元に置いていただくのも、おすすめです!


手掛けの台

前回は鏡餅と幸木をご紹介しましたが、年を迎えるための飾りは、ほかにもありました。まずは「手掛けの台」です。

 手掛けの台というものがあり、「蓬莱」とも呼ばれます。その多くは三方に紙を垂らし、その上に裏白を敷いて、九合の米(なぜ九合なのかはわかりません。十に満たないってことに意味があるのでしょうか)を盛って根曳きの松を立て、包んだ米、塩、昆布、海老、橙、橘、ホンダワラ、栗、茅の実などを置いて飾りとします。また三方に大熨斗を垂らして分銅で、あるいは奉書紙に米を包み、水引で中央を縛って宝袋にして重しにしたりもします。昔から家々のしきたりがあって、一様ではありません。おばあさんがいるような家では、かたくなに昔の形を守っています。正月中に来客があるごとに、まずこれを持ち出してお互いに祝いを述べ、趣味人などは三方の米の中に花瓶を入れて松竹梅を生けたりする者もいるのですが、これは最近の流行りです。

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