推しとは何か?「好き」と「推し」に込めているニュアンスの違い
はじめに:「推し」ってどういう感じなの?
研修講師をして下さっている社員さんがめちゃくちゃ好きでリスペクトなんだけど自分から仲良くなりにいくのは、違う。これはどっちかと言うと「推し」なんだよね。
そんな話を隣の席の同期にしていたら、不思議がられた。ので、私の中にあるニュアンスの違いを話した。
こういう話面白いよね〜となったので、せっかくだから書き起こしてみようと思う。
「好き」は双方向に育まれるもの
「好き」の好意は伝えたい
まずは単なる「好き」について。
私が周囲の人に対して「好き」という言葉を使う時は、その好意を相手に伝えて関係性を作りたいとの認識を持つ時だ。
えー好き!って思ったら伝えたい。最初はめちゃくちゃ勇気いるけど。とは言いながら話してる勢いで言ってしまうことも多いけど。
それが私にとっての「好き」。相手にさらりと伝えられる、粘り気のない好意。ポジティブなイメージ。
もっと仲良くなりたい
こういう時は心の中で、この子好きだなあ仲良くなりたいなあって目をキラキラさせている。真顔(のつもり)で。
でも、自分の中で好き・仲良くなりたいと思っているだけじゃ仲良くなれない(当たり前)。だから相手に伝える必要がある。
それも長々と書かれたラブレターのように募らせた(あるいは拗らせた)思いを伝えるというわけにはいかない。もっと軽やかで、難しいこと頭で考えずに動かないと。
「推し」は片矢印で煮詰まるもの
「推し」の好意は一方的
他方「推し」の好意には、前者とは異なり相手に一方的に感じているというニュアンスがある。
一方的だから、自分がどう思われているかは分からない。そんな関係なんだけど、好き。それでいて別に私のことを知ってほしいとか近づきたいというわけではない。ただ、自分の中から湧き出て粘度を増していく。自分の頭の中だけで好きが増していくことで、執着にも似た何かに育っていくような。
そう、この好意はそれを向けている相手に対して伝えるには気持ち悪すぎるのだ。(ここで断っておくが、あくまで気持ち悪いとは私自身の「推し」全般に対する感情の気持ち悪さを述べているのであり、その他の「推し」を持つ人に対して向けているものではない。)
好きなら相手に伝えりゃいいんだけど、相手に直接さらりと伝えられるような関係性ではなく(アイドルがいい例だ)、伝えられない好きは己の中に溜まっていくばかり。溜まりに溜まった一方的な好意は、それはもう熱量を増してマグマのようにグツグツどろどろとしたものだ。そうなるとますます好意の対象にそのままぶつけるにはいかなくなる。
このように一方的で自分自身の内側に沸き立ち煮詰められたのが「推し」への好意だ。
遠くから崇めていればいい
先ほども述べたように、「推し」の好意の対象には近づきたいという感情はない。
……いやもちろん、もちろんね?大好きな推しと会話したり、推しから認知されたり、そんなことがあれば天地がひっくり返るだろうけれども。それでも、近付き交流して中を深めていこう、という存在ではない(というより、近付こうにも近付けない)のだ。
「推し」の好意は一方的で煮詰められたもの。仮に伝えられて交流できるとしても到底伝えられるようなものじゃない。
一方的で煮詰まったどろどろの好意を向けられるのは恐怖でしかないだろう。そんな恐怖体験を仮にも好意ある人間にさせるなんて出来やしない。
ましてやその恐怖を感じさせているのは自分だ、というのは最悪の状況である。
「推し」にはなんの脅威もなく健やかに幸せに笑っていて欲しいのに……。「推し」に幸あれ……。
自分が「推し」に近付くことは意に反するもの。だから、遠くから崇めていればいい。
おわりに:身近な人には「好き」でいたい
以上が私なりの「好き」と「推し」に込めたニュアンスの違いだ。
「好き」は伝えることでもっと仲良くなりたいし、インタラクティブな関係を作りたい。そんな好意。
「推し」は伝えることなく近付くことなく、一方的に煮詰めた熱量のある好意。
今までの好意は……
今までは身近な人(クラスメイトや同期、身近な先輩など)であっても、遠巻きに「推し」の好意を向けることも多かった。
この話をした同期は、100人以上いる同期の中でも指折りの社交派で、年齢性別国籍etc. を問わず友だちになるような人だ。長く深い付き合いの人も沢山いて、誰かと過ごす予定がバンバン入っている。
私の言う近付かなくていい、仲良くなる必要はない、遠くから好きでいればいい、という「推し」の感覚がピンと来なかったのも当然であろう。とりあえず近付いていくがデフォルトのようだから。
対する私は長い付き合いで仲のいい人はほんのひと握りで、普段会う友人も限られている。初対面の人はとりあえず慎重に様子を伺うし、細く長く、狭く深く関係を構築する方が性に合う。
仲良くなれるか自信が無い人には近付きたいとは思えず、遠巻きに眺めて終わってしまう。(それでもめちゃくちゃ好きなのが「推し」だ。)
最近は
ただ最近はようやく人付き合いの感覚が出来てきて、重たく考えずに人と交流出来るようになってきたところ。
ある程度自分の輪郭が見えてきて長い付き合いの人も出てきたから、失敗や傷付くことを恐れずエイヤッと外の世界と交流出来るようになってきたのだと思う。
もちろん元来の性質から、「あんまり続きはしないだろうな」と直感的に感じる人とは積極的に交流しよう!!となることは少ない。
けれども端から判断せずちょっと頑張って話してみたらすごくいい子で決めつけてごめんって思ったり、思いがけず好き!!って感じたりすることがある。30歳が近付いてくるとみんな意外と面白くて好奇心をくすぐるものを持っていて(失礼)、長続きしないにしても楽しいから話すということもするようになった。
こうなってくると、一歩踏み出して仲良くなれるかもしれないなら、「推し」として遠巻きに眺めているのは勿体ない。
まだまだ人間関係ド下手だから上手くいかないかもしれないけど、キラキラした可能性にかけてみたい。最近はそんなのも悪くない。
「推し」に熱く募らせた思いの強さも大好きで、大切な私の一部だけれど、身近な人には「好き」から始まる関係を作れたら素敵な気がしているのだ。
皆さんの「好き」「推し」の違いはなんですか?
今回はあくまで私個人が持つニュアンスの違いの話を述べてきました。
もし共感するところや疑問、自分はこうだな〜、そんな違いねーよ!etc. コメントいただけたら嬉しいです。興味があります。みんなどんな感じなんだろ。
以上!!
(2024/05/12追記)
こちらのマガジンに取り上げていただきましたm(_ _)m
元々#INFJタグは付けてありませんでしたが、マガジン掲載を期に追加しています。
u1さん、記事の閲覧&マガジン追加ありがとうございました!
【最後まで読んでいただきありがとうございます☺︎ スキ、コメント気軽にサクッといただけると嬉しいです。気長にゆるりと書いていきます🍀*゜ みとはるか 】
気に入っていただけて嬉しいです。精進します。