旧国名っていつできた?

旧国名のこと自体よくわかってない、ことがよくわかったところで、ちなみに旧国名っていつできた?ということをおさらいします。
・・・実は、大学は日本古代史専攻だったのにこんなことでいいのだろうかと思わないでもない。

ということで、十数年、大学時代も基本がわからなくなるとお世話になっている高校の教科書。版は違いますが、私は日本史はずっと山川出版社にお世話になっています。

国、つまり行政区域の成立は、みんなご存じ、大宝律令によって定められました。少し引用します。

いっぽう全国は畿内・七道の行政区にわかれ、その下に国・郡・里(郷)がもうけられ、役人としてそれぞれ国司・郡司・里長がおかれた。国司は中央の貴族が一定の任期で派遣され、郡司はもとの国造などの在地の豪族から任命され、国司に協力して地方の政治にあたった。

山川出版社「詳説日本史改訂版」1997年3月31日検定済

版が違うと、多少表現は違うかもしれませんがおおむねこのような内容化と。

へぇ。

・・・言い訳すると、卒論は中央政治のほうだったので、統治組織としての太政官以下のほうばかり注目していたので、地方のほうはよくわかってませんでした。。。

それはさておき。

同時に、こういう政治にあたるもの=官庁に勤務する役人、には位階が与えられて位階に応じた官職が与えられる。試験にでてくる官位相当の制ですね。
つまり、くらいが高くないと、役職がもらえないのです。
官位役職によってお給料とか特権とかがでてくる→貴族の成立、そしてのちのち武士の成立に繋がっていくのです。

国は、大宝律令によって整理されたってことですね。
はい、もとの国造などが郡司に任命されています。つまり国の成立はもう少し前まで遡れますね。

索引で「国造」を探します。また引用します

大和政権は、隷属した地方豪族の一部に国造や県主の地位をあたえ、従来の支配権を認めるとともに、屯倉や名代・子代の部の管理にあたらせた。

山川出版社「詳説日本史改訂版」1997年3月31日検定済

県主とか屯倉とか習いましたね。覚えられない~ってなりましたね。これはいつかというと、日本史の空白時代、5世紀後半のころの話のようです。

大和政権あたりについては、私が習った頃より研究が進んでいると思うので、雑にまとめることになりますが、

卑弥呼、倭の五王のあとなんやかんやあって日本は、
大和政権が強くなる。その後、勢力拡大、支配地域を拡大していき、
もともといた豪族も服従させて、従うものには地位を与えていった、
という感じ。

つまり、●●の国というのは、古墳時代の間に、なんとなく成立していって、それを大和政権が認めていって、大宝律令で制度化したっという感じでしょうか。

ただし北海道はもとより、東北、特に陸奥はまだまだ先ですが。陸奥が服従するのは、平安時代の終わりくらいになります。先が長い。


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