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mT期N 便り⑺…敵も味方も設定次第

敵やライバルはいた方が励みやバネになるって外から見てると多い。自分力が強いほど逆な方向対象が必要だったりする。である程度熟れて来ると、どの反対方向を利用出来るようになり、右往左往しない事を確認して、後はただただただ自分を表現し続け、出力し続ける。

誰が何を言おうと別に構わない、言わなくていい。いいたいけど言えない、言いたくないのに言っちゃったとか、勢い余って出た言葉も直球だけど響いてくる。波のように🌊畝って観える。

…そう みんなどっち方向だろうが自由にこの洞穴から出たい…。自由なようで??雁字搦めな気分に脱同一&同一の瞑想をしてみる。

一部(身体)より
ロベルトアサジョーリ
(サイコシンセシス―統合的な人間観と実践のマニュアル (サイコシンセシス叢書)

https://www.amazon.co.jp/dp/4414325048/ref=cm_sw_r_cp_api_i_2wz4EbFGWTM4H

“私は身体を持っている。しかし私は私の身体ではない。私の身体は、健康であったり病気であったりその時によっていろいろな状態になる。また休息がとれていたり、疲れていたりする。しかし、それは、私のセルフ、真の「私」とは全く関係がない。私は、自分の身体を、外界において体験し、行動するための貴重な道具として重要に思っている。しかし、身体は単なる道具にすぎない。私は身体を大切に扱い、良い健康状態を保つよう心がける。しかし、身体は私のセルフではない。私は身体を持っている。しかし私は私の身体ではない”

…身体(感覚)から始まり、
感情▷知性へと進む(端折る)…

私自身すなわち「私」を脱同一化したあと感覚、感情、思考など意識の内容から、私は、純粋な自己意識の中心であることを認識し、確信する。私は、すべての心理的な過程と私の肉体を観察し、方向づけ、活用できる意志の中心である。

「私は純粋な自己意識と意志の中心である」事に集中する!

私は身体を持っている。しかし私は身体ではない。
私は感情を持っている。しかし私は感情ではない。
私は知性を持っている。しかし私は知性ではない。

…更に続く…引用、要約以下(長いので)…

様々な(肉体感覚感情欲望知性行動など)同一化から引き離して永遠な存在に気づく、その気づきを利用する。
多くのものと関わり多くの役割を演じる。
出来るだけうまく演じる。はそれは役割であり、自分から了解し同意した役割(部分的な役割)である。
役割を通じて観察する。それゆえ、私はそれらの役割のどれでもない。
私は自己同一性を持つものであり、単なる役者ではなく、それらの演出者なのである。

‥これいい剥がし剤ですね。
目の前のことや自分の無意識に着いて?同一している事にさえ溺れない為の約束!としようと思いました。

う?日頃、役者している意識はあるけど、いい演出者?しているかはこれ課題多し💦。

七十二候、入梅!カマキリから蛍へ移動した季節の微妙な移り具合、ぼっとしているうちに、何処かでは淡々と着々と生き死してサイクルを回しているようなものだ・・その大きなサイクルの中で終わっていく人生です、はい🙇‍♀️ それも石ころとしては全う出来そうだ・・^-^;

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ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。