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「愉気」ということー愉気の心ー18

それなら陰気を退けて、陽気な活発な気を愉気したらどうなるだろうか。そこで愉気ということをやってみました。実際は触れられなくてもいい。気が感応すればいい。愉気して気が感応すると、何処が変わるか判らない元気になる。

けれども不安や闘争心はいけないのです。平穏な気持ち、天心と言いますか、自然のままの心でスッと手を当てるとよくなる。よくしようとと思うのは人間のつくった心です。使えば減るなんて思うのも、人間がつくった心です。
体の自然は腕を使うと腕が太くなる。足を使うと足が太くなってくる。頭を使うと深く考えられるようになってくる。使って減るものではない。
気だって、陽気を愉気すれば、いよいよ陽気が増えてくる。活気を愉気すれば、いよいよ活気が増えてくる。使って減るということはない。

ただ、伝えても相手に伝わったのか伝わらないのかが判らない、しかし愉気をして心を集注すると変わってくるのです。体が変わるのか、心が変わるのか、気が変わるのか、それは判らない。判らないが、その人も、相手も感じる。障子越しの明かりのように、気持ちがいいという程度です。けれども、いろいろと変化を起こしてくるのです。怪我をしたらそこへ愉気すると、外側の怪我でも内側の怪我でも簡単に治る。やってみると妙なもので、私はそういうことを、触手療法として教えたことがありました。みんな手を当てているとよくなる。手を当てたくらいでよくなるわけがないと言う人が沢山いました。やるまで不安であっても、自分でやってみると信じないわけにはいかなくなり、だんだん熱心になります。

この間も、足の骨が二つに折れた人がおりました。それは整形外科で繋いでもらい、愉気すれば一番簡単なのです。それをそうしないで、どうしても愉気で治すと言って頑張っていました。前にそうして治った人が何人かいました。だから無茶だとは言わないけれども、人間の構造をもう少し知っていれば、それで繋いでから愉気をした方がいいくらいは判るのではないか、と言って奨めましたが、それでも頑張ってとうとう治してしまいました。それくらい愉気するということは一旦自分でやると、気持ちまで変わってしまうものなのです。

癌に愉気をしている人がいました。
癌が治るなどというのは可笑しいというけれど、それは癌を治す薬がないというだけのことなのです。癌も人間の体が作り出したものです。別段、知識があって作ったわけではない。だから厭になったら作るのを止めるように「厭だよ」と愉気したら、「そうか」と言って止めるかもしれない。体の中のいろいろな物ーイボのようなものでも押さえていると取れることがあります。胃袋の中のイボのようなものでも、ヨウ(腫れ物)でも、愉気してなくなってしまうことがありますが、そうなると、体の中も外もそんなに違いはない。





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mito_k13
ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。