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どんどん腹の中が観えていくことを自らの解放に変えていく

みな会社、家族、社会の一員だけど、必要以上な一体化の中に妄想が入るとかなり異質な感じがするもにだ。誰も見てないなって、何も聞いてないなって即感じて来る…。事実は真実とは違うが事実も真実も一緒のごった煮になって自分が見えないのは隠れ蓑になっているからだなって思ったことがあった。
わたしに中にはそういうところをいち早く感じてしまうモノが昔からあるらしい…。他者、他との何かとの間に圧がかかればかかるほど感じてくるセンサーみたいなベルがなる…。



抽象的な言い方かも知れないけど、家族、子供や孫や夫婦であっても、自分の行為は自分で選んで決めたこと。断ることも出来るし、諦めることも出来る。元にあるのは無知の知である。
知らぬとはいえ利用されたとか、加担してしまったことになったってけっこうある。まさかこんな事になってたなんてってということが人生で二回もあった。全く学習しない、学ばないなって自分にがっかりしたこと。それを感じみてみると相手に依存しているのは自分だったと。
依存に疑問はないのか?依存に質問は起きないのか?全て委ねていいのか?意見は言わないのか???
意識は寝たままに対象に相手に従っている傾向が多かった。




今や意地やプライドで他者との壁を作るのは体に無理がかかる。どんどん硬く縮まる。よく意地でも嫌だとかプライドが許さないとか言う。

なんか今そんな言葉使う人はいるのか?と思うほど古い気がしてくる。でも若い頃はそんな言葉をよく言ったと思う。今それを言えばただ偏狭者な気がする。



例えば捻る傾向→負けたくない、勝ちたい傾向ある癖があるとしても、人は大きな出来事や変化刺激や時代の変化などで、様々なサイズの違いはあるけど許容範囲は広がり選択肢も増える、また余計頑なに狭くなる人もまたいるだろうけど、どんな刺激から私自身に影響しても、何か自然に一皮剥けていく時期なのだと思えてくる最近。目の前の世界は広がるはずだと思える。


家系的に体が捻れると意地に張り合いが炸裂することをよく知ってる。いつも話が進まない時などは、その人の癖の扱いでその事柄や問題解決の限界さえ決めてしまうだろうと相手の体からぷわぷわと出てくるのでわかるよ。

またこれか!と体の癖が、その人に乗ってくる。癖が体にしたのか?と思う。
よく卵が先なのか?くらいの話。体に現れるのが先か?現れる前に感じているのか?
体が敏感だと先に体はもう知っていて、異常感は脊椎に現れると整体の先生は言っていた。でも本人が体の異常感させ感じないと大きな病気になるまで気づかないと…

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....教養やセンスいい豊かさの応用が効かない木偶の坊に、武骨っぽいイメジもあるなぁ〜。

宮沢賢治の雨にも負けずのあの時代のあの詩なら木偶の坊に愛着と哀愁さえ感じさせられ雨にも負けずが好きだった💘

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🍂ネットでお借りしました、懐かしい好きなやつ🙇‍♀️




隠したいものは何?
バカにされたくない.否定されたくない.責められるからと、自分の外と中のギャップに違いに隠したいと思った瞬間、埋め学びや気付きを育ててないと実感する。

だめなら無理だと言えるし
体裁やカッコつけたかったからと言えるし
先走ったと言えるし
未熟だったと言えるし
自分の至らなさにごめんと言えるし


ただそれだけです。わはははで終わり。


相手のどうのこうに向ける視点を自ら向けて、自分を素直に伝えられるって最初勇気がいる。けどそれ手放して、ただ素直にいたいと思ったら、人生の姿勢まで大きくシフトするように感じてくる…

…何か問題が拗れ大きくならないよう自らを素直に伝えられたらいい、、それでいい🙆‍♀️🙆‍♂️になればいいな~。だってそうなんだものね、しょうがないよね。



先ずは、

わたし木偶の坊ですいません。拘り強くてすいません。頼りなくてすいません。わがままですいません。言葉足りずですいません。

いっぱいあり過ぎてすいません、、、けど…美味しいもの食べて…よく運動して…さらに瞑想して…変容の中で何かにしっかり繫がり出会い、諸行無常の中まだ生きていますから;´∀`)


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mito_k13
ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。