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健康生活の原理-活元運動のすすめ by野口晴哉

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野口晴哉の本を小見出し事に書いきました。動画もありの保管庫。
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#大山街道ふるさと館

「愉気」ということー丈夫に育てるには自分の力で経過させるー14

病気させないにがいいのではなくて、病気をしても、それを子供自身の力で経過させるということが正当な育児法です。病気になっても、それを自分の力で経過し、全うするのでなくては意味がない。 それを、治さなくては治らないのだよ決めている。怪我をしたところで、その人の自然に繋がる体の働きがあって、その働きで繋がらなくれは治らないのです。 傷口を縫っても貼っても、それは早く繋がるように仕向ける事であり、それで早く治るかどうかも判らないのです。 けれども縫ったり貼ったりしただけでは治ったので

「愉気」ということー体が一番よく知っているー15

旅行して水が体に足りなくなってくると、パンがパサパサして旨くない。握り飯の方が食べたくなる。それなのにサンドイッチばかり出てたら惨めです。どんなにいい食べ物でも、時機を得ないといけない。 おしることビフテキを一緒に口の中に入れたら、両方とも旨くない。別々なら旨いのに、それをなんでもみんな混ぜ合わせるとか、順序を考えないとか、そういう事を平気でやってしまうのは可笑しいのです。 喉に煙草の粉が入ると咳が出てくる。鼻に入れるとクシャミになる。眼に入ったら涙が出てくる。同じ物であっ

「愉気」ということー僅かな差からー16

男と女の色素の数は一つしか違わないが、男と女を比べると随分違います。第一、男は女にように豪胆ではないし、厚かましくないし、度胸がないのです。女の人はみんな強いのです。 色素が余分にあるし、自然に恵まれていて、月経などでちゃんと掃除しているが、男はやけ酒飲んで喧嘩したところで月経なみなのです。 それを女は弱い振りして、男は横暴だというが、ほんとうは男よりも女の方が優秀なのです。 自然適っているから、栄養もどんどん吸収出来るし、芋の尻尾からでも大根の葉からでも吸収してしまう。

「愉気」ということー病気は調和への要求ー17

すべて調和というものは、一つ違っても調和ではないのです。そういうことは体が知っている。 私は、初めは病気を治すつもりで治療ということをやっておりました。そのうちに、人間が病気になるということは全く無駄なことだろうか、と思うようになりました。そう思ってよく観ると、病気する人は、病気しないといけない状態になっている。そして病気をして経過すると、今まで疲れが抜けてくる。眠っている力が出てくる。ひょっとしたら、病気はそういう居眠りしている力を呼び起こすためになるんではないだろうか。