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ドラクエ3リメイク 「鳥山外し」に思うこと。

「ドラクエ3リメイク」の発表から、いろんなことを考えていた。

世間では「新職業が!」「とくぎが!」と盛り上がっているようだが、自分は完全に冷めきった目でそれらを眺めている。遊ぶことはもちろん、作る立場としても少なくない年月を費やしてきた「ドラゴンクエスト」とはいったい何だったのだろうか。

■新しい勇者と鳥山スライムが共存する違和感

まず大前提として、パッケージイラストの勇者と鳥山明のモンスターデザインが同じ世界に存在しているのはおかしい。オクトパストラベラーの生島直樹氏を使うなら、それに沿ったモンスターデザインに変更すべきである。

異なる画風が混在した世界

当たり前の話だが、メディアミックス企画を担当した藤原カムイ氏もいのまたむつみ氏も、それぞれの画風でモンスターをアレンジしている。

藤原カムイ氏の「竜王」
いのまたむつみ氏の「ハーゴン」

好みとか価値観どうこうなんて話ではない。「世界観」とはそういうものである。しつこいようだが、こんなことは作品制作において「当たり前の話」だ。ドラクエ3リメイクではイラストレーターを変更したのだから、オクトパストラベラーのようなモンスターに描き直すのが筋である。

ここには「ドット絵なら誤魔化せるだろう」というある種の「ズルさ」が感じられる。ドラクエ11(3Dモード)のグラフィックで同じことをしたらその違和感がよくわかるのではないだろうか。

■「鳥山絵」を判別できない人たち

そもそもの話、何の情報もなくイラストだけを見て「これは鳥山明が描いたものだ」と判別できる人が果たしてどれだけいるのだろう。

ネットを見れば適当なことを言っている人間ばかりである。鳥山先生の絵をそうじゃないと言ってみたり、そうじゃない絵を見て「鳥山劣化したな」なんて叩いてみたり。

たとえば以下の3点のイラストを見て、どれが鳥山先生が描いたイラストかわかるだろうか。

①ドラクエ3「勇者」
②ドラクエ4「アリーナ」
③ドラクエ5「ヘンリー」

正解は「どれも鳥山絵ではない」

これがわからないのに「変更は仕方ない」なんて主張するのは「鳥山明が描いたという事実」だけをありがたがるブランド好きの権威主義者である。たとえ本人が描かなくても、「画風」は引き継ぐことができる。ジブリの絵柄は宮﨑駿がいなくても再現できるのだ。

■「懐古厨」「老害」…罵る人間は「無敵の人」

「変化を拒む人間はみっともない」という風潮が蔓延している。

これは何もドラクエに限った話ではない。「新しいもの=善」であり、それを受け入れない者は「悪」と扱われる場面は非常に多い。

先日、Xでは「鳥山先生のイラストでないことを受け入れられないと厄介なファンになる」という旨の投稿が賞賛されていた。

強く言っておきたいのは、「『変化に対応できる=寛大な人』などでは決してない」ということだ。

変化とは、失うこと。
「それまでの状態が100%満足だった者」にとって、多くの場合、変化は劣化である。何かを失って「新しいものもいいね!」なんて言える人間はそれを「どうでもいい」と思っているだけだ。「器が大きい」「心が広い」なんて立派なものでは断じてない。どうでもいいのだ。

何もかもが急ぎ足で移り変わっていくこの時代において、最も強いのは「何も愛さないこと」である。失うものが何もない、いわゆる「無敵の人」愛もこだわりもないなら、人はいくらでも寛大になれるのだ。

大して好きじゃないから痛みも知らない、だからこそ強くいられる人たち。彼らは自らを「時代の変化を許容できる懐の深い人間」と疑いもせず、正義面で殴ってくる。深い愛を失った人の傷を笑い、厄介者扱いする人間の何が偉いというのだろう。

これは個人的な嗜好になるが、「変化」という点で言えば、8から始まった3D視点も近年のドラクエのボイス化も、正直まったく好みではない。
ついてくついていけないの話ではない、単に「それ以前の良さ」を知っているからだ。かつてのドラクエを「俳句」とするなら、3D化やボイスは「いちいち説明してくれる俳句」である。絵や音をなんでも表現してくれる最近のドラクエは、かつての「少ない情報量から広がる無限の世界」を楽しむゲームから大きく離れてしまった。旧来の魅力を知っている者が、その魅力をわかりもしない人間に淘汰されていくのは非常に悲しいことだと思う。

■今いちばん気になっていること

「ドラゴンクエスト」誕生から38年。
さんざん鳥山イラストで商売をしてきた人間が、それを喜んで遊んできた人間が。簡単にその過去を捨ててしまう「節操のなさ」が本当に悲しい。38年もの間、いったい何を愛してきたのだ。

冒頭で述べたように「キャラクターとモンスターのアンバランスさ」はドット絵だからこそ誤魔化せるが、最も気になるのは「今後のシリーズも同じように非鳥山デザインで行くのだろうか」という点である。「鳥山明」という強烈なアイデンティティーを失えば凡百のRPGに埋もれてしまうような気がするが、どうなんだろう。

この夏、横浜のみなとみらいで「ドラゴンクエストカーニバル」が開催されるとのこと。流れてくるのは、楽しそうな鳥山モンスターたちのイラストたちである。

そう、「ドラゴンクエスト」は鳥山明と共にあるのだ。「鳥山外し」を受け入れ、それを拒む者を厄介者扱いしながら、この絵で喜んでいる人たちはいったい何なんだろう。

自分にはさっぱりわからないのである。

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