「推し」という予防線。
「推し」という言葉が嫌いだ。
その言葉を使う人間にとって、「好き」や「ファン」は重いのだろう。
「その程度でホントに“好き”って言えるの?」
「“ファン”ならそれくらい当然でしょ?」
そうツッコミを入れられるのを恐れている。
詳しくなくていい、いつ離れてもいい。
誰かと争いたくもない。
予防線を張り巡らせた“愛情らしきもの”を声高に叫べる……そんな人の語る愛を、どこまで信じられるというのだろう。
「推し」という言葉が嫌いだ。
その言葉を使う人間にとって、「好き」や「ファン」は重いのだろう。
「その程度でホントに“好き”って言えるの?」
「“ファン”ならそれくらい当然でしょ?」
そうツッコミを入れられるのを恐れている。
詳しくなくていい、いつ離れてもいい。
誰かと争いたくもない。
予防線を張り巡らせた“愛情らしきもの”を声高に叫べる……そんな人の語る愛を、どこまで信じられるというのだろう。