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「ドラクエ3リメイク」発表 そして絶望へ…
ニンテンドーダイレクトをリアルタイムで観ていた。
「ときは来たれり」の言葉でドラクエ3だとすぐわかった。それなりに待っていた続報。
「こんな感じになるんだー」
「初報からここまで長かったなー」
……そして最後で青ざめる。
見慣れないイラスト。
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鳥山先生(風)の絵ではなかった。
ファミコン時代を思い返してほしい。3色しか使えないファミコンのドット絵と自分の脳内をつないでいたのは、まぎれもなく鳥山先生のイラスト。鳥山先生の絵を見ていたからこそ、鳥山キャラになりきって冒険できていたのである。
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リメイクでパッケージイラストの描き手が違うということは、このゲームの登場人物は「非鳥山キャラ」。つまり今回のリメイクでは鳥山デザインのキャラクターを操作できないのである。PVで母親と抱き合っていたのも、自分の知っている「あの勇者」ではない。
「敵モンスターは普通に鳥山デザインで、味方キャラは知らない人の絵」という非対称。本来であれば片方を変えるならもう片方もそれに合わせるべきである。ネットを見れば、そんなことを気にする様子は微塵も見られず歓喜と賞賛の声で溢れている。
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まったく画風の異なるキャラが戦っていることになる。
お金の問題か権利の関係か、理由は知りようもない。ただひとつ思うのは「この世界はあまりにも鈍感だ」ということ。
発売から36年が過ぎ、まさか「鳥山キャラを操作できないドラゴンクエスト3」に出くわすだなんて夢にも思わなかった。そして世間はそこに何の違和感も感じてなさそうである。
「老害」と呼ぶなら好きにすればいい。
変化に容易く対応できるなら、その人には愛もこだわりもないのだろう。
このくだらない世界に、合わせるつもりもついていくつもりもない。価値観が離れていくなら、それはむしろ誇るべきことだとさえ思う。
ナンバリングタイトルでまさかの「鳥山外し」。リスペクトも何もあったもんじゃない。
なんだかもう疲れてしまった。