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七つの夏に思う、知り得ぬ景色

amazarashiニューアルバム「永遠市」

待ちに待ったアルバムが発売になった。
アートワークに期待を膨らませ、小出しにされていた音源をあえて聴かず、発売日、いざ視聴に挑むためイヤホンとDAPを取り出したあの時間は一瞬だったが、それこそ永遠かのように、私の中で未だ余韻を響かせている。


アルバム曲「君はまだ夏を知らない」

その衝撃は唐突だった。
5曲目に位置するその曲を聴き、ああ心地よいバラードだな、と身を委ねていた私の頭を、1番サビのラストのフレーズが勢いよく殴り飛ばした。

君はまだ夏を知らない たった七つしか

amazarashi 「君はまだ夏を知らない」

陳腐なものだが、途端に涙が溢れた。
そして一歩遅れて理解が追いついた。これは秋田ひろむ氏が我が子に贈った曲なのだと。


羨望、尊敬、出来ない共感

その後幾つかの考証を経て、その気づきが確信に変わった次の日の夜、私は居ても立っても居られなくなってペンを取った。
床に転がったiPadを引き寄せ、今が深夜の4時という時間帯だということも忘れ、絵を描いた。

「君はまだ夏を知らない」

この曲には、羨望が詰まっていた。
私も両親から同じ詞をかけてほしかった、そんな叶わない願いが。
この曲には、尊敬の念を抱いた。
愛する小さな存在に、こんなにも優しい詩を贈れる秋田氏自身へ、そしてその優しさに。

そしてこの曲には、私は永遠に共感し得ないのだと気づいた。
私は子供を持てない。というより、持たない選択をした。
理由は一つ、私自身が抱える障害が、遺伝的要素が強いと言われるためだ。

羨望、尊敬、そしてその背後に付き纏う自分への失望。色々な感情がごちゃ混ぜになり、胸の中が飽和し、溢れた分は涙に姿を変えた。


負け犬、弱虫と揶揄されたいつかの青年の今

秋田ひろむ氏のつくる詩は、お世辞にも大衆に向けたものだとは言い難い。
時に負け犬の歌だと罵られ、時に弱虫の讃歌だと揶揄され、それでもと歌い続けた彼の言葉に、世間のはみ出し者たちが共感し、生きる力を見出してきた。
そんな彼が、今、一人の人間の親として生きている。
その事実は私にとって何よりの救いの知らせであり、同時に自分への失望の宣告でもあった。
しかし今、私の胸には温かいものが満ちている。
永遠など無い。それを知りながら、彼ら親子にだけは、永遠に光が降り注いでほしいと心から願う。
私になし得なかった夢を現実にしてくれてありがとう。
僭越ながら、そんな言葉を今の彼へ送りたい。そう思うからだ。


たった七つの夏のこれから

たった七つの夏は、これから年を重ねるごとに一つずつ増えていくだろう。
秋田ひろむ氏には、一つでも多くの夏を「君」と重ねてほしい。そしてもし気が向けば、またそれを詩にして、私たちに教えてほしい。
私の知りえぬ景色、それを色鮮やかに、この目に聴かせてやってほしい。
そんなことを願った。

2024年3月4日追記

この記事を書いて以来まだ胸の躍動は治らず、もう一枚絵を描いたので載せておく。
少し彼らの側に寄れた気がしているので。



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