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黄門様が隠居していたところ(西山荘)

真田広之さんが主演、プロデューサーを務めた『SHOGUN 将軍』がエミー賞のドラマシリーズ部門で、史上最多の18部門で受賞したというニュースが飛び込んできました。

今、テレビで時代劇って、ほとんど放送されなくなりましたね。テレビで放送しているのは、NHKかBSの再放送ぐらいではないでしょうか。これを機に、時代劇が世界だけでなく、日本国内でも見直されるといいですね。

エミー賞で話題の真田広之さん。
つぎにどんな作品を手掛けるのか気になりますね。

『SHOGUN 将軍』の次は『FUKUーSHOGUN 副将軍』というのはいかがですか⁈

そう!
『副将軍』といえば、「おそれおおくも、さきの副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!」の『水戸黄門』。もちろん黄門様は真田広之さん!

令和6年8月11日、BS-TBSで
『放送55周年 あゞ人生に水戸黄門あり』
を放送していました。

水戸黄門がテレビ時代劇として放送されて55周年になるんですね。

昭和44(1969)年の放送開始から55年で
 放送話数は1248話!
 歴代最高視聴率は43.7%!!
 黄門様一行が旅した距離はおよそ12万km!!!

"水戸"の名を使わせていただいている者として、これを見ないわけにはいきません。

もちろん正座して、御老公様の御前にひれ伏して(そんな気持ちで)放送を見ました。

水戸黄門といえば、助さん・格さんを連れて漫遊する「越後のちりめん問屋の隠居さんの光右衛門(みつえもん)」。これは世を忍ぶ仮の姿。

では本物?…史実上の水戸黄門は⁈

水戸藩主を引退して「西山荘」(現在の茨城県常陸太田市)で隠居生活をしていました。

西山荘

「西山荘」(せいざんそう)、昭和レトロな木造の風呂なしアパートみたいな名前だけど、おそれおおくも黄門様が隠居した場所です。

華美を嫌い、質素倹約を旨とした黄門様らしい建物。自然と一体化しすぎて、どれが建物かわからない⁈

時代劇「水戸黄門」の中でも、第1話で山野辺兵庫らに見送られ旅立つ場所であり、最終話では旅を終えた黄門様御一行が戻る場所として登場します。

特徴的な格子の丸窓のある書斎

黄門様は、ここで余生をのんびり過ごそうとしたわけではありませんでした。では、何をしていたかというと、この丸窓のある3畳の書斎で「大日本史」の校閲をしていたようです。
自分が本当にやりたかったことが、隠居後にやっとできるようになったのです。
もちろん、諸国漫遊はしていません…

黄門様はここで元禄13(1700)年12月6日に73歳で亡くなるまでの10年間を過ごしました。

木造茅葺き平屋建て
前藩主の隠居所とは思えないほど簡素な造り
御座の間
10畳ほどの広間で居間として使われた
領民を迎え入れる裏門は、表門より立派にした。とはいえ、簡素な門です…

当時は「西山御殿」とも呼ばれたそうです。
元の建物は文化14年(1817)野火によって焼失しました。現在の建物は文政2年(1819)に規模を3分の1にして再建したものです。

黄門様は、ここで「大日本史」を編纂しながら、心は書斎の丸窓を飛び出して、日本中を漫遊していたのかもしれませんね。

【おまけ】常陸太田市のオススメ!

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